映画作家についての原稿、最後までゆく。約26枚。何が書けるのか途方に暮れていたが、思ったよりは書けた気がする。すこし寝かせてから推敲するつもり。この原稿を寝かせている間にも、以前にまとまった作家論を書いたことのある小説家の最新作についての原稿をはじめる。こちらもだいたい20〜25枚を目安に。まずは詳細に読み込むことから。それが済んだら、上下二冊でたっぷりボリュームのある小説の書評。これは6枚。ただ、ぼくは本を読むのがおそろしく遅いのだった。しばらくは気が抜けない。
●とはいえ、ちょっとほっとしたので、『キングス&クイーン』(デプレシャン)のDVDを観た。何度も観た映画だけど、びっくりするほど面白い。その面白さが、映画として面白いということなのかどうかは、ちょっと分からないけど。しかし、重要なのは映画であるか、映画でないかではなく、面白いのか、面白くないのか、ということだと思う。この映画を観ていて、川部良太さんの『そこにあるあいだ』の発想のもとになったのはもしかしたらこれなんじゃないかと、ちらっと思った。ぼくは以前、「映画芸術」にこの映画(とツァイ・ミンリャンの『楽日』)についてのレビューを書いたことがあるのだが(http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/eigei4.html)、それを読み返してみると、『そこにあるあいだ』について書いたこと(http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20090221)と、言葉と人物イメージ(顔)と同一性との関係について、ちょうど真逆のことを書いているなあと気づいた。