●清水さんがツイッタ―で、セザンヌについてとても面白いことを書いているのでメモしておく。
https://twitter.com/omnivalence?lang=ja
《自然を円錐、球体、円柱の集まりとして捉えよ、とセザンヌは言ったが、これは何を意味しているのか。平面に描かれた球体や円錐、円柱は約束ごと、記号に過ぎない。たとえそれが写真映像であっても。》
《球体は、その周りをどのように人が回るのか、それを経験(しないと本当には理解)出来ないし、その行動によって制作される。円錐も、円柱もそれぞれにそうした行動と制作を含んでいる。》
《するとセザンヌの描く情景は、複数の制作と行動が、時間的な意味でもアナクロニックに並存した空間であり、むしろ複数の空間の並存でもあるということになる。自然じたいがそうだというなら、そこで制作する者は誰か。》
《球体、円錐、円柱という形態の選択が恣意的で、どんな形態であってもそれは言えるのではないかと思われるかもしれない。しかし、その立体を、何らかの行動によって作り出す方法が明確に知られている立体であることが、ここではそうした複数の空間、時間、パースペクティブを生み出すにあたって重要だ。》
《「球体は、その周りをどのように人が回るのか、それを経験しないと本当には理解出来ないし、その行動によって制作される。」とさっきtweetしたつもりが、少し消えていた。。》(上に引用したツイ―トでは、括弧をつけておぎなってあります。)
《平行線と角と円は、円柱と円錐と球体より後にくるものだ。ましてや何処にも合流しない一本だけの直線など、円柱や円錐や球体が散乱した情景より、はるかに何がなんだか分からない。》
《円相について、隻手の音について参究するように球体や円柱、ある種の色、音のコンポジションについて考えること。》
ゲーテの『色彩論』について考えること。あるいは、原形態について。ダ・ヴィンチにおけるそれ。》
《円錐とは、螺旋のことではないか。》
《立体のうちには、インデックス性がある。というか立体こそがインデックスだ。セザンヌが描いているのは、インデックスの集合なのだ。》