●お知らせ。といっても、これを書いている時点でもう過去になってしまっていますが、10日6日付け東京新聞、夕刊に、ICCのエマージェンシーズで展示されている「盛るとのるソー」(小林椋)についての美術評が掲載されています。
●『ニューロラカン』(久保田泰考)によると、生まれつきの聾唖者でも統合失調症に罹患すると幻聴を「聞く」ことがあるという。さらに、健聴者の幻聴においても、そのモダリティーは様々であり、はっきりと声の質まで聞こえるというものから漠然と頭の中に声が入るというものまで様々であるという。
《重要なのは、健聴者であれ、聾唖者であれ、意味が何かによって主体に押しつけられるという体験そのものだろう。もちろん、その「何か」が物理的な空気の振動でないことだけは確かだ---とすれば、「それ」は何なのだろう?》
ラカン派にとって、その答えはもちろん「シニフィアン」である。》
《実際のところラカンが用いる「シニフィアン」の概念は、非常にあいまいなところがあり、特に言語学者にはソシュールの概念を誤用していると評判が悪いのだが、意外なことに脳科学には大変フィットしやすい。というのは、脳の言語処理を考える研究者は、声や手の動きから言葉の理解へと至る経路を考えるうえで、どうしたって、物理的な素材と意味のシステムを結びつけるインターフェイスを想定せざるを得ないからである。》
《(…)語の音が、意味のシステムへとつながる(significationをもたらす)ためのインターフェイス的な構造の存在であり、それこそがシニフィアンに相当する。》
《(幻覚の本質は)聴覚というクオリアではなく、シニフィアンを通じた意味の領域において見いだされる(…)。》
●そして、言語というものが、それ自体(それを扱う脳から)自律的な進化するシステムであるということを示す、言語進化シミュレーションの研究があるという。
《この研究の被験者に対し、「エイリアン」という言語と、対応する絵のペアが提示され、エイリアンならどの語を用いるか答えることが求められた。》
《正誤にかかわらず回答はすべて記録され、次の世代が、その言語を覚えるための基礎データとして使用された。何世代かのグループが学習をくりかえすうち、一定のパターンが自律的に生成した。たとえば、水平に動く対象の記述にある特定の語が用いられたり、跳ねていた対象を表すのに別の単語が使われたりといった具合である。こうした他者の行為をくりかえし見ることによる自然な学習は、チンパンジーや幼児の道具使用の学習において確認されてきた。はるかに複雑な人工言語の獲得においても、同様の学習が行われることを確認したことが、この研究の成果の一つでる。しかしさらに重要なことは、進化しているのがその使い手の側ではなく、言語そのものであるということだ。(…)研究を主導したエジンバラ大学の進化言語学者サイモン・カーヴィは次のように語っている。「言語自体が、進化しようという強い方向性をもっている。それは後世に伝えられることを望み、そのための方法を見つけだす。われわれは、その宿主なのだ("We're its hosts")」。むしろ私たちの脳が、その宿主なのだ、と言い直すべきだろうか。》
《さらに大胆な仮説となることを恐れずに展開しよう。意識に与えられた知覚の特性を、意味(脳のネットワークが処理している)へと自在に繋ぐというオペレーションがヒトの脳にとって言語の最も本質的な機能を示しているのではないか。カーヴィらの研究が示すように、ある対象のジグザグした動き(という意味)は、ある特定の音韻構造(知覚されたものとしての)へと結びつけられる。それこそが、シニフィアン/シニフィエという言語の最小構成単位によって機能していることそのものである。》
《つまりヒトの言語において特異的なのは、それが意味を伝えると同時に、その構造についての自己言及的な情報も脳に伝えるということだともいえる。私たちの脳が、そのような言語構造にフィットした傾向性を持っていると考えるべきであろうか。あるいは、本章の冒頭で考えたように、言語そのものがウイルスのように「自己(知覚)」というシステムを構築して脳を乗っ取ってしまうのか。いずれにしろ、やがてその知覚構造は表象として、脳にフィットした形で進化をはじめるだろう。》
統合失調症の患者さんは、意味としては崩壊してしまっているのに、文法的にはまったく正しい言葉を発することがあるという。あたかも「言語構造」それ自体が語っているかのように。なぜ、文法は崩壊しないのか。
《脳は思考した結果を、言語表象として意識野へ出力し、外部からの知覚とと同時に「自己」が知覚したものとして扱い、それをまた脳の思考プロセスへとフィードさせる。こうしたオペレーションが、たとえばその他の文法処理モジュール、意味記憶モジュールから独立しているゆえに、文法的に正しく、セマンティックにも明白だが、全体として意味がとれない文章が生じるという事態が起こり得るだろう。脳のシステム自体が深刻な混乱=意味処理の障害に陥った場合、たとえて言えば、言語という寄生ウイルスは、それ自体が語ることで意味の混乱を外部に示すことになるだろう。つまり、語いや文法レベルの障害ではなく、意味の次元の障害であることが表出される。》
《いったんは意味と縫い合わされた言葉が、ヒトと言語が出会ったプロセスを元にたどるかのように、今度は意味から解き放たれて行く。つまり、意識体験において、意味から自由になった刻印、「現実界におけるシニフィアン」が現れる。それは、それ自体疾患としての統合失調症のプロセスとは無縁なのだが、しかしそれゆえに、「統合失調症という出来事」の核心である。》