●「人間は考えヌ頭部である(からだは戦場だよ2018)」(小鷹研究室)のための予習。その四。
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《(…) 『Immigrant Head』(漂流頭部)です。これは、二つの方法で、頭部だけが漂流するような自己イメージを体感しようとするものです。もっとざっくり言うと、「頭部として自立している自分を想像できるだろうか」という関心と結びついています。》
《そもそも、"ball of light"と言われるような、純粋に概念的な視点なんて想像できるだろうか。僕たちが、視点といったときに、その視点を発している基点のような実体に対する意識を排除することはできるのか。視点は、「抽象頭部」のようなイメージの起点がないと、そもそも構成できないのではないか。》
《『Immigrant Head』では、1)首をもたげることで、頭部がオリジナルの身体からゆっくりと抜け出していき(この際、オリジナルの頭部は残っている)。そして、首を戻すと「もとの鞘」に収まっていく。または、2)頭部につけられたドラをバチで叩くと、頭部だけが飛んでいって地面に打ちつけられる。》
《僕の考えでは、1)と2)は、「抽象頭部」を構成している異なる側面を抽出している。1)はより純粋に位相的な場所性としての頭部を、2)は、物質的な"モノ"としての側面を持った頭部を、体現している。これらは、視点が視点として存在しうる基盤を考えるうえで、とても示唆的な体験となるはずです。》