2019-10-21

●『ラブホテル』(相米慎二)。ここ十年かそれ以上、ずっと観直してみたいと思っていたのだが、レンタル店などではソフトが見つからなかった。それがU-NEXTのラインナップにあったので観た。

相米だからかっこいい映画には違いないのだけど、正直、これで一体何がやりたかったのだろうかという疑問は残った。出典の示せない、うろ覚えの不確かな記憶なのだが、たしか何かのインタビューで、ロマンポルノを撮ると決まってから、日活へ通って多量の脚本のストックを読み返して、そのなかで石井隆による「名美と村木」モノに改めて興味を持ったとかいうことを、昔、相米が語っていたのを読んだように思う。

石井隆による「名美と村木」モノとは一般に、男女が、様々な意味で「間違った出会い方」をし、その、最初の時点の間違いを取り戻すように再度「出会い直し」を画策しようとする、という展開を基本線としたヴァリエーションとして物語が組み立てられるシリーズで(物語の基本線と登場人物の名は共通するが、人物の設定や年齢などは各作品でバラバラである)、全体として強く感傷的であるように思える。

「名美と村木」モノにおける、物語の構造から湧出してくる感傷---取り戻せない何かを、そうと知りつつ取り戻そうとする感傷---と、相米の映画における、映画としての躍動のなかから唐突に、にじみ出たり、吹き出したりしてくるエモーションとは、どちらも「感傷的」なものであるとしても、基本的に異質なものであるように思われ、この映画では結果としてその両者が相殺されてしまっている感じがあるように思われた。相米の演出が物語の構造や人物の心理に気を遣いすぎて抑えられているようにもみえ、一方、その演出は、物語が要請する感傷の細かい襞のようなものに届くということろまではいっていない、という感じ。

(特に、名美という人物を、ドラマや心理の描写を通じて成り立たせようとしているのか、映画としての身体の運動や存在感として成り立たせようとしているのか、どっちつかずになってしまっている感じはした。)

ただ、とはいっても、映画としてかっこいいシーンはいくつもあって、そのたび、おおっと思って身を乗り出す。夜と昼とで二度繰り返される横浜の埠頭の場面。夜の場面では暗いので、ある種抽象的な空間としてあった埠頭が、昼間の場面で繰り返される時にはその空間が「どうなっているのか」がはっきり見えるので、こんな危険な空間で、俳優たちにこんな危険な動きをさせていたのか、と驚いてしまう(ちょっとバランスを崩すだけで海に落ちてしまいそう)。それによって映画的な空間のスリリングさが増す。

(そして、この二度目の埠頭の場面によって、名美の村木に対する態度---感情---が大きく動く。)

ラストの場面は鳥肌が立つほど素晴らしかった。おそらく十数年ぶりに観直したのだが、ラストの場面がどんな感じであったのかは憶えていた。しかしそれでも、また改めて、はじめて観たかのように驚くくらいすばらしい場面だった。