『残菊物語』(溝口健二)をDVDで

佐藤江梨子松山ケンイチの出ているユニクロのコマーシャルでナレーションをやっている男性の声にいつも引っかかる。とても独特な、ちょっと籠ったような、しかし魅力的な声で、どこかで聞いた憶えが確実にある。でも、それが誰なのか、もう少しで思い出しそうで、いつも、あと一歩のところで思い出せない。その人の顔が今にも浮かびそうなところまでゆくのだが、顔のイメージに手が届き切らないうちに、頭のなかに保存されている(ほんの今し方コマーシャルで聞いた)「声のイメージ」が曖昧になってしまう。(ぼくの場合、名前や顔の視覚像と結びつかない、声の生々しいイメージの記憶は、ごく短い時間しか残らないみたいだ。)どうにもモヤモヤとするので、昨日、今日くらいは、ユニクロのコマーシャルが流れる度にあっと思って意識して聞き耳をたて、終わったとたんにテレビを消して、耳を塞いで集中して、その声のイメージから、頭のなかにある視覚像を検索しようと努めていた。で、今日の夕方になってようやく、あれは西島秀俊の声ではないかという結論にまで達することが出来た。で、改めて、西島秀俊ってこんなに良い(面白い)声だったんだ、と思った。それと、記憶のなかでの音声と視覚像との結びつきは、けっこう危ういものだなあ、とも思った。(いや、もしかしたら間違ってるかも知れないのだけど。)
●『残菊物語』(溝口健二)をDVDで。はじめて観たのだけど、ぼくが観た溝口のなかでは圧倒的に一番好きだ。お話としては、きわめて通俗的な範疇に留まっていて、そこからはみ出すところがないのだけど、映画としては無茶苦茶アバンギャルドで大胆で、こういうことが平気で両立しているってどういうことなのか、と驚く。観ながら、これって相米じゃん、と何度も思った。ここって、そのまんま『ションベンライダー』だし、ここは『お引っ越し』だし、ここは『雪の断章・情熱』じゃん、とか。相米慎二は、自分の全作品をかけて、この『残菊物語』たった一本をただひたすらリメイクしようとしていたのではないか、とすら思ってしまう。
それにしても、こんなに贅沢な映画があるのかと思った。(何というか、空間の潜在的な「深さ」がとても贅沢に感じられるのだ。)例えば『近松物語』は、三年連続でヴェネチア映画祭で入賞した年(54年)という、溝口が栄光の絶頂にあった時期につくられているので、つくりがやたらと豪華なのだが、しかしむしろ、戦前(38年)につくられた『残菊物語』の方が、贅沢感という意味ではずっと上で、それは監督の個人的な力量というより、撮影所全体の技術的な豊さであり、映画界全体の豊かさの反映なのだろう。こんなに凄いセットを、こんなに沢山組むことが出来るのなら、そりゃあ、カメラや照明だって半端ではなくがんばってしまうだろうし、そうなれば監督の構想の幅だって、限りなく広がるだろう。(大胆なことをいろいろと試みる余地も生まれるだろう。)溝口が凄いというのは、勿論溝口個人の才能や力量が凄いということなのだけど、しかしそれは、当時の「映画」がもっていた、文化的、技術的、経済的な「含み」の、たっぷりとした豊かさに支えられていたのだろうと思われる。二十世紀は映画の世紀だ、というような言葉は、戦前の映画を観るとなるほどと実感される。
おそらくこの「豊かさ」は、映画がきわめて前衛的であると同時に大衆的であり得たメディアであることと関係するようにも思われる。おそらく戦前(30年代)はまだ、二十世紀的な「前衛」が生きていた時代で、それはつまり、前衛的であることと大衆的であることとが両立可能だということが信じられた最後の時代ということで、映画というメディアがその「信」を支えていた時代だということでもあると思われる。(例えば、ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」は、『残菊物語』ととても近い時期に書かれている。)
(溝口の映画が、戦後より戦前の作品の方がリアルだということと、逆に、小津の映画は、戦前より戦後の作品の方がリアルだ、という事実に、この二人の作家の根本的な違いと、戦争を挟んだ時代の決定的な変化があらわれているのかもしれない。小津の映画は、溝口のような空間の潜在的な深さはなく、潜在性は、あるショットと別のショットとが繋がり得る可能性としてのみ、確率的なものとして確保されるように思われる。)