●U-NEXTに『バタアシ金魚』(松岡錠司)が入っていたので、おお、懐かしいと思って観た。1990年公開の映画。筒井道隆も、高岡早紀も、浅野忠信も、まだ十代(東幹久は二十歳くらいか)。浅野忠信のクソガキっぷりがすごい。
懐かしいという思いだけで観たが、割とよかった。80年代的な、素朴な「身体の映画」(素朴に「身体」を信じているような映画)だと思った。おそらく、十代の少年少女をこんな感じで撮るというのは日本映画では相米慎二がはじめたことで(でも、相米はそこまで素朴に「身体」を信じているわけではないので、もっと変な撮り方をする)、それを素朴に、まっすぐに、シンプルに踏襲していて、それがいい方に転んでいるという感じ。おそらく今だったら、こんなに素朴に(「素朴」って何回言うんだ…)俳優の身体に映画を預けてしまうような撮り方(俳優に対して無茶ぶりする、とも言える)はなかなかできないのではないか。そういう意味で、この時代ならではのテクスチャーが出ていると思った。
クライマックスというか、筒井道隆と高岡早紀が、はじめてその感情を互いにしっかりぶつけ合うという場面を、ひざ下まで水の張られたプールでの、激しいどつき合いというか、身体的なぶつかり合いとして設定しているのだが、おそらく今だったらもう少し工夫をしてしまうというか、(脚本的にも、演出的にも)仕掛けを考えてしまうだろうところを、ベタに、ずぶ濡れのぶつかり合いだけで行けると判断し、俳優の身体のぶつかり合いに映画としての説得力を賭けてしまう、そのような無防備なまっすぐさが、おそらくこの映画をよいものにしていると思った。
(このプールの場面の舞台設定や演出は紋切り型とも言えるが、しかし俳優の身体=パフォーマンスがその紋切り型を破ってくれるであろうという期待・信頼によって、この場面が成り立っている。)
(おそらく、筒井道隆という俳優がいたからこそ、この方向で突っ走って大丈夫という確信が持てたのではないか。特異な身体が一つあって、それを酷使することで映画がたちあがっていく。演技がうまいとか下手だとか、そういうことじゃなくて、身体に対して様々な圧をかけ、その圧に対して身体が何を返してくるのか、その返してきたものと、物語上の登場人物や物語の展開とをシンクロさせていく。)
(ただこの場合、圧をかけるスタッフ=大人に対して、圧をかけられる俳優=子供という力の非対称性があり、どこまでの圧が許されるのか、どのような圧なら許されるのか、という難しい問題がある。)