2019-12-13

●出典は忘れたが、前にどこかでみた記事で、いわゆる「ゴミ屋敷」の住人にインタビューして、よくよく聞いてみたら、最初のきっかけは、ゴミの分別の仕方が悪いと近所の人に指摘されたことで、徐々にゴミを出すことができなくなっていった、ということだった、というものがあった。

この感じ、すごく分かる気がする。たとえば、時々、メールの返事が書けない病が発症する。来たメールを滞りなく返せている時はあまり問題ないのだが、ちょっとした理由があって後回しにせざるを得なくなると、危ない第一歩だ。そういう些細なことが、二つ三つ重なると、「そっちへの通路」が塞がれてしまうような感じが生じて、返事を書く困難度がどんどん上がっていく。そういう時は努力して(なぜか理由の分からない強い抵抗圧力が働くのだ)、なんとか力を振りしぼって、三、四日遅れくらいの範囲で返事を返せればなんとかなるが、時々、その「理由の分からない抵抗圧力」を振り切れなくて、どんどん遅れてしまい、遅れれば遅れるほどに、返事を返さなければいけないというプレッシャーと、返事を書くことに対する謎の抵抗圧力がどちらも強くなって、本当にまったくどうしようもなくなるということが起こる。心の負担が重くなればなるほど、行動のフリーズは解けにくい。

これは、メールの返事が書きにくい、難しい問題を含んでいる、判断を迷っている、デリケートな内容である、ようなときにだけ起こるのではない。そういう場合は返事が遅れる---返事が書きにくい---明確な理由があって、それを自分でも意識化できているし、その問題の方を解決するように考えればいいのだから、理由もなく「動けなく」なるのとは違うので、「困難さ」の質が違う。答えも決まっている、二、三行で済むような、(二、三分もあれば書けるはずの)事務的なメールの時でも、道を塞ぐ小さな石のような程度の障害物で、そうなってしまうことがあるということが困る。

(まさに、今がそうだ。日記が書けるのだから、メールの返事くらい書けるだろうと思うかもしれないが、それがとても困難でずるずるきてしまっているメールがある

あるいは、もうそろそろ髪を切らなければと思って美容院に予約の電話をいれると、今日も明日も予約でいっぱいだと言われたとする。その段階では、まあ、また来週にでも…、と思うのだが、そういう些細なことで(これもまた) 「そっちへの通路」が塞がれてしまうような感じが生じて、結果、その後何ヶ月にもわたって髪が無秩序に伸び放題ということになる(まさに、今がそうだ)。勿論、時間がないわけではないが、「そっちへの方向」が塞がれているので、時間があっても、身体が「そっちの方向」へ向けて動こうとすることに対して、精神がすごいプレッシャーをかけてとめてくる。

日常生活においてすべてがこうだということではない。上手く回せている時は、なんとかすることができる。でも、ときどきふと、見えない落とし穴にぽこっと落ちるように、ごく些細なきっかけ(そして、このきっかけには何かしらの形で対人関係が「薄く」作用しているように思われる)から、「そっちへの通路」が塞がれ、「そっち」へと動くための回路へ向かう働きがフリーズしたままで、再起動が困難になってしまうことがある。そして、当初は小さなものだったとしても、それによる支障(歪み)は指数関数的に増えてしまう。ゴミ出しへのちょっとした躊躇が、ゴミ屋敷にまで発展してしまうように。

ゴミ出しへのちょっとした躊躇が、ゴミ屋敷にまで発展してしまわないための、様々な日常的配慮というか、通常の社会的生活を維持するために必要な、ごく常識的で、特に困難だとは思えない日常的行為が、ぼくにはかなり難しく、ときどきひどく困難になって、一度困難になるとその行為に対して断線するみたいにフリーズしてしまって、どうしてもできなくなることがある。おそらく、このような傾向にはなにかしらの「病名」がつくのだろうと思う。とはいえ、その病名を知ったところで、それが治療可能な病だとも思えない。