2019-12-12

●U-NEXTで、『イメージの本』(ゴダール)。最近、映画とかドラマとかを観られない感じになっているのだけど、ゴダールなら観られるんだなあと思いながら観ていた。

とはいえ、特に強く集中しているのでもなく(ゴダールの作品を正確に読み取ろうと意気込んでいるわけではなく)、まるで過去のゴダール映画のDVD(あるいは動画データ)を、(観客であるぼくが)適当にザッピングしながら観ているみたいな感じの映画だなあと思いながら、ただ、ぼんやりと観ていただけだが。

過去のゴダールの作品で観た(聴いた)ことのあるような、(ある程度おなじみの)画面やイメージや言葉や音声が、現れては消えていく(時々、今までのゴダールになかったような鮮やかなデジタル画像が挟まれたりはするが)。さまざまな映画や画像からの引用で成り立っている過去の自分の映画を、さらに、過去に自分がやったのと同様のやりかたで再度引用して繋げている感じ。

(そもそも、それ自体が引用によってつくられている)自分が過去につくった映画(映像や音声)を素材にし、そのような素材(二重に断片化され、二重に引用されるもの)を使って、自分が過去につくった映画と同様のやり方でモンタージュをし直している感じで、二重の意味で、ゴダールゴダールの自己反復をしているようにみえた。あるいは、ループ的な自己反復。

何重にもぐるぐるまわる自己反復のなかで、何かが確実にすり減っていき、すり減りの中でイメージは抽象性を増し、そのポテンシャルのみをあらわにする単純性を帯びてくる。それに対して、ゴダールの声や息づかいの生々しさが強調されていく、というようにも感じられた。

ただ、そうではあっても、映画を観ながら、ゴダールの映画が面白いのか、ゴダールが引用している元の(オリジナルの)映画の面白さが、繰り返し行われるゴダール的加工を経た後でもなお確実に生き残っているからこそ面白いのか、どちらかよく分からないとも感じていた。

いや、どちらかというと、むしろ「ゴタールによって引用された元のオリジナルの映画の場面やイメージ」の面白さにこそ、この映画は支えられているのではないかという感じを強くもった。

ここしばらくは、映画をほとんど観られなくなってしまっていたし、観たいともあまり思わなくなってしまっていたのだが、『イメージの本』を観ながら思うのは、この『イメージの本』という映画を観続けるより、ここに引用されている「あの映画」や「その映画」を観たいという欲求の方が強く惹起されてくるということだった。

それはつまり、ゴダールが、「あの映画」や「その映画」の魅力的な部分、高いポテンシャルをもつ部分を、的確にピックアップしているということなのだろう。この映画を観て、少しだけ、また映画を観たいという気持ちが蘇ってきつつあるのかもしれないと思った。