2021-01-22

●(昨日からつづく)そういえばぼくは、自分の本(『世界へと滲み出す脳』)のなかで「小市民シリーズ」論(「互恵関係と依存関係」)を書いていたのを思い出した(『巴里マカロンの謎』を読んでいる時にはそれを忘れていた、というか、意識していなかった)。自分で書いたテキストを読んで、「小市民シリーズ」のあらすじをぼんやりとだが少し思い出した。以下、「互恵関係と依存関係」(『世界へと滲み出す脳』)からの引用。なお、これを書いた時点では三作目の『秋季限定栗きんとん事件』はまだ出ていなかった。

《〈小市民〉シリーズの、小鳩くんと小山内さんとの「互恵」関係が、はじめから決して対称的だとは言えないのは、このことからも分かるだろう。小鳩くんが解決する「謎」は全て基本的に他人事であり、彼の欲望はたんに(純粋に)「謎を解く」ことである。彼が他人から鬱陶しいと思われるのは、他人事に(依頼されてもいないのに)口を突っ込むからであろう。対して、小山内さんの「復讐」は、常に自分の事情であり、自分の問題であり、自分の欲望である。謎は、私の外側にひろがる世界に関わるが、復讐は、私がその一部である世界に関わる。》

《二人の関係は、実際に「依存(愛情)」の入り込む余地のない、お互いの存在を「利用する」ための関係として契約されている。しかしここで「互いを利用する」とは、ふりかかる面倒なことから逃れるために、ということにおいてだろう。(…)しかし小山内さんは割合簡単にそこから踏み出してしまう。小鳩くんは、自分と関係ない謎に思わず首を突っ込んで、それを解こうとしてしまうこと、そしてその「解」を得意げに他人に披露しようとしてしまうことを、抑制しようとしている。(…)そのことを知っているのに、小山内さんは小鳩くんの「推理癖」を自分の(抑制すると誓った)復讐への欲望を満足させるために利用しようとする。》

《二人はしばしば「小市民の誓い」を踏み外すが、その踏み外し方は異なる。小鳩くんは、目の前に「謎」という餌をちらつかされると、ついついそれに誘われて謎解きをしてしまう。謎解き、つまり理知的な分析による認識が、決して人を喜ばせるものではないこと、人は実は知など欲してはいないことを小鳩くんはその経験から知っている。(…)しかし、自ら謎に踏み込まなくても、謎は他者からの依頼として、小鳩くんのところに舞い込んでもくる。依頼として舞い込んだ謎に関わることは、自ら進んで謎に首を突っ込むことに比べ、同じ踏み外しだとしても、彼にとって比較的「罪が軽い」ことになるだろう。(…)(しかし、他者の要望に応えたものだといって、必ずしも他者から感謝されるとは限らない)。》

《小山内さんの踏み外しもまた、基本的には他者の介入による。自分自身の凶暴性、つまり恨みへの執拗なこだわりと、復讐を実現させてしまえる並外れた行動力とを自覚している彼女は、出来るだけ目立たなく、大人しく振る舞うことで、他者との摩擦を避け、利害の対立を避けて、自身の凶暴性のスイッチが入らないように抑制した生活をしている。小山内さんにとって、復讐することそれ自体が喜びを伴うものだとしても、小鳩くんが謎を欲しており、謎を解くことそのものを積極的な喜びと感じているのと同じようには、復習を喜びと感じているわけではないだろう。彼女にとって積極的な「良いもの」はスイーツであり、決して復讐ではない。小鳩くんは、もし、自らの知を発揮することによって人から疎まれることがないという条件があれば、自身の推理癖を抑制する必要は全くなくなるのに対し、小山内さんの復讐は、彼女自身にとってさえも、決して「良いもの」となることはない。つまり、小鳩くんは「良いもの」につられて、ついつい踏み外してしまうのだが、小山内さんは、それをせざるを得ない状況に「落とし込まれる」ことによって、踏み外してしまう。小山内さんの凶暴性は、他者からの避け難い攻撃によって発動される。》

《小山内さんは、自らがその一部である世界において、他者からの危害を受けているのだから、小鳩くんが依頼を拒否するようには、その世界そのものを拒否することは出来ず、その危害をくい止めることは出来ない。だからこそ彼女は、受動から一転して、復讐という能動へ打って出る。》

《だが『トロピカル』では、自らが囮となって犯罪を誘発し、さらに濡れ衣を追加して相手に負わせようとする。しかもその計画には、その「推理癖」を見越して、互恵関係の枠を大きく逸脱する形で、小鳩くんが組み込まれている。つまり小鳩くんを騙して利用している。この看過出来ない復讐の進展は、彼女の行動(能動性)がたんに復讐ではなく、自身の身を守るための行為であることで、(一応は)正当化されている。》

《(…)小山内さんにおいても、石和という元同級生への恐怖や、自身の身体に加えられる痛みや傷への恐怖が、防御をこえて相手に無実の罪を着せるところまで進展させてしまうのだ。小山内さんに「復讐」を促すものは、実は決して「愉しみ」などではなく、「恐怖」であったのだということがここではっきりする。そして、このような他者によってふりかかる「恐怖」に対して、探偵=小鳩くんによる「知」は何の役にも立たない。つまりここで、もはや「互恵関係」は成り立たない。この点がはっきりしたことで、二人の関係は必然的に破綻する。》

●上記のように、シリーズ二作目の『夏期限定トロピカルパフェ事件』の最後で、いったん二人の「互恵関係」は破綻する。そして三作目の『秋期限定栗きんとん事件』で復活するのだが、どうやって復活したのか、読んだのが十年以上前なので覚えていない…。