●何故か、ここ何日か、酸っぱいものが欲しくて仕方がない。酢の物とか、柑橘類とか、ヨーグルトとか、梅酒とか、スーパーでそういうものを見ると我慢できなくて買ってしまう。普段は、特にそういうものが好きだということはないのだが。梅酒なんて、確実にここ十年以上は口にした記憶がないのに。
●『秋期限定栗きんとん事件』(米澤穂信)下巻。上巻を読んでいる時は、もしかしたら今後、小佐内さんのダークサイドが全開になって、小鳩くんと小佐内さんの全面対決ということもあり得るのかもしれない、そうなったら、『犬はどこだ』や『ボトルネック』や『さよなら妖精』のような、「苦い」認識を強いるような展開に、この「小市民シリーズ」すらもなってしまうのだろうか、という危惧がちょっとあったのだが、読み終わってみれば、そんな危惧はまったく杞憂で、言われてみればこれ以外にあり得ないよなあという結末に、しかも非常にポジティブな結末に辿り着いていて、成る程と深く納得し、やはり米澤穂信はとても良い作家なのだと、改めて思い知るのだった。
『夏期限定トロピカルパフェ事件』のラストを読んだ時、その展開を必然的なものだと納得した(この点についてはぼくの本の米澤穂信論を参照して下さい)のと同時に、しかし、次回作へのハードルをこんなに高くしてしまって、本当に「次」が書かれるのだろうかとちょっと心配したし、実際、シリーズの二作目から三作目の間にはけっこう長い空白が空いてしまっていた。だがこの三作目は、自らが提出した難問を、自らの手で完璧なかたちで解いてみせたというような作品になっていた。そしてその結果この作品は、作家としての米澤穂信にとっても一つの飛躍を示す作品になっていると思う。
一度決別した小鳩くんと小佐内さんは、それぞれに異なる経路を通過した上で、再び出会い直す。この真摯な試行錯誤の過程を、過度にニヒリスティックになることもなく、過度に情緒的になることもなく、きわめて冷静に、端正に、そして軽さを手放すことなく、描き出してゆく。依存関係ではなく互恵関係を目指した二人の関係は、その互恵関係という設定の欺瞞に突き当たって破綻するのだが、その後二人は、それぞれが依存関係のあり様を模索する過程を経て、依存関係でも互恵関係でもない、あらたな関係の可能性として、再び改めて相手を見出す。その関係はあくまで可能性であって、着地点ではない(依存関係とか互恵関係とかのように、あらかじめ「目的」が設定されてはいない)。ミステリという次元でみれば、割りとはやい段階で「犯人」の目星はついてしまうのだが、この小説にとって、そこは大した問題ではない。結局、「キャラ」や「萌え」に収斂してゆくようなラノベやアニメが根本的に欠いているのは、このような、地味だけどごくまっとうな(決して「自意識の問題」には落ち込まない、開かれた)知性であると思う。
この小説の二人の登場人物たちは、自分たちのもつ知性が、きわめて狭い視野しかもたず、その狭さによって限界づけられたものであることを充分に自覚し、その危うさへの警戒を決して手放さないが、それでもその上で、自らのその「限定的な知性」に賭ける覚悟を得るのだ。米澤穂信の聡明さには、もっと多くの人が本気で驚くべきではないかと思う。