●機械学習によるイメージ生成をみると、そこで生まれるイメージから、「頭のなかから直接取り出したような質」を感じ、「手=身体を介すること(メディウムを介すること)」の意味を考え直さないわけにはいかないと思わせられる(端的に言えば、ひどく動揺させられる)。
●下のリンクは、以前、VECTION(西川アサキ + 古谷利裕 + 掬矢吉水 + もや)の議論で、西川さんによって持ち込まれ、取り上げられたものなのだが、ぼくはこのイメージ群に魅了されてしまい、眼をもっていかれる、という感じで釘付けになってしまった(AIが学習している時、その内部、その過程がどうなっているのか、ということを示すためのもの)。
The OpenAI Microscope is a collection of visualizations of every significant layer and neuron of eightimportant vision models.
https://microscope.openai.com/models
中を見ると、たとえば下のような感じになっている。
https://microscope.openai.com/models/inceptionv1_caffe_places365?models.technique=deep_dream
●上のような画像(イメージ群)を観る時、心がざわざわして不穏な感じになり、しかし、眼は魅了されて釘付けにされる。それは、おそらくそれらが、人間の脳のローカルな部分がそれぞれバラバラにやっていることを、塊(一つの感覚や意味の単位)としての統合がまったくなされないままで(なされるより前の形で)、ぽろっと出しちゃっているように見えるからなのではないかと思う。つまり、これらの画像は、意味として加工される前の(視覚的な)無意識のマテリアルというか、知覚のマトリックスが、裸のまま露呈しているようなものだということではないか(それぞれの画像が、個々のニューロンであり、そのニューロンの偏りを表現している?)。自分の背後にあって自分を支えるものであるが、今まで見えなかったもの(しかし、ずっとそれらと共にあったもの)と、光のなかで正面から対面してしまっている、と。だからこそ、それを観ると動揺する(こころがざわざわする)のに、そこから目が離せなくなる。
それは、意味はないが、とても親しいものであり、しかし同時に、直視してはならないもの(直視すると「自分」という統合が崩れてしまいかねないもの)、ということではないかと思う。
(文化的に近いものがあるとすれば、ドラッグカルチャーにともなうサイケデリックなものだろうか。)
●あるいは、下のリンクで生成されている画像をみると(アクセスの度に新たに生成される)、抽象絵画の「紋切り型」(だが、かなりクオリティの高いもの)が生成されているように感じられる。
∞ stream of AI generated art.( Explore the infinite creativity of this AI artist that was trained on a carefully selected set of cubist art pieces.)
このような絵を描いた画家は歴史上には存在しないのだが、しかし、いかにもありそうな抽象絵画であり、このような絵を描いた(埋もれた)20世紀初頭の画家が発見されたというフェイクニュースがあったとしても信じてしまうように思われる。この画家は、そこそこ良い画家だ。つまりここでは、美術史によって裏打ちされるような(非常に抽象化された)「絵画的感性(ペテンタリーな趣味)」が学習されているのだと思う。
上のジェネレーターは、学習対象がキュビズムの絵画ということなのだが、美術史における「キュビズム周辺の無意識」が正確にトレースできているように思われる。機械学習は、「感性」や「無意識」をとても正確に学習することができるようにみえる。
これだけのクオリティの絵が自動的に生成されてしまうと思うと、絵を描きたいという気持ちはどうしても折れそうになってしまう。