●竹橋の国立近代美術館で山田正亮、その後、渋谷でベクショニズムの会合。
山田正亮を観に行くのは実はかなり気が重かった。もしそこに壮大な絵画の墓場のようなものがあったらどうしようかと怯えていた。山田正亮の回顧展を観て絵画の墓場のように感じてしまったら、ぼくはもう、絵を描くことも、絵を観ることもできなくなってしまう。結果として、そうはならなくてほっとした。ぼくはまだ、絵を面白いと思うことができるようだ。
山田正亮は自らの作品を厳密に体系化していたというけど、それは多分に後付け的なものなのではないか。実際、けっこう流行の形式をわかりやすく取り入れているようにみえる。たとえば、六十年代のミニマルな表現が流行った時期にはモノクロームペテンティングっぽくなっているし(Work C)、八十年代のニューペインティングや抽象表現主義っぽい絵が流行った頃の作品は、大画面になって筆触が目立ったりする(Work E)。もちろん、生涯を貫いた一貫性のようなものがあるように見えるのだけど、その一貫性は、画家としての仕事の全体が自律的な体系となっているというようなものとは、ちょっと違うように、ぼくには思われた。
●とはいえ、ストライプの作品群(Work C)には、流行とか美術史的な影響関係などとは異なる、何か自律した波動のようなものを感じた。ぼくの趣味としては、Work Bや、Work D(ブライス・マーデンのように美しい)が好きなのだけど、作品としての強さや高さからすれば、ストライプのWork Bの時期の作品が圧倒的だと思った。
●平面、あるいはキャンバスは、所与のものとしてある。たとえば、粘土で像をつくる時は、粘土を足したり引いたりして、最後に完成の形になる(最初から粘土の量が決まっているわけではない)。木彫りの像を彫る時でも、最初は木の塊があり、そこから最終的に像が彫り出される。つまり、実際の制作の過程がある前に、答えが決まっているわけではない。しかし、絵画においてフレームはあらかじめあり、最後までそのままだ(付け足したり、削ったりすることができなくはないが、通常はそのままだ)。そのような、所与のものとしてのフレームが、結果(本質)としてあるかのように、つまり、絵を描くことを通じて、その必然的な帰結としてフレームが決定(生成)されたかのような、あたかもそのようであるような状態をつくるというのが、近代的な意味での自己言及的な「絵画のふるまい」であるといえると、ぼくは思う。出発点であるものをあたかも必然的、あるいは本質的な終着点であるかのようにみせること。この循環構造が、近代的な絵画の自己言及性だと思う。
たとえば、ある区画を指定されて、そのなかでだけ遊ぶことが許されているとする。しかし、その遊びのふるまいによって、あたかも、自由に遊んでいた結果、その遊びがたまたまある区画に収まったというように見えるような遊び方で遊ぶこと。あらかじめ(他人によって)決められているのに、あたかも自由があるかのように見えるようにふるまうこと。そのような、様々な遊びの、ふるまいのパターンを作り出すこと。これが、自己言及的な、あるいはメディウムスペシフィックな(狭義の)近代的な絵画のふるまいといえると、ぼくは思う。
そして、山田正亮の仕事は、そのような意味では圧倒的だと思われる。しかし、現在では、そのようなルールそのものが、もはや自明ではないし、有効でもないように見える。とはいえ、ルールが自明でも有効でもないとしても、我々が、そこから抜け出せているか(あるいは、そもそも抜け出す必要があるのか)ということもまた、自明ではない。
(そして、Work Cの作品のみが、そのようなルールから逸脱した、それ以上の何かを感じさせる、と、ぼくには思われた。いや、「ルールからの逸脱」ではないか。ルールに従いつつも、それ以外の何ものかとも通じている、ということか。「それ以外の何ものか」とは、画家に絵を描かせ続ける根本的な力のようなものだろうか。)
だからおそらく、「反復」にはレベルの異なる二つの意味がある。一つは、出発点と終着点とを裏返して重ね合わせる、絵画の、メディウムスペシフィック的で自己言及的な(あるいは円環的な)反復で、もう一つは、画家を繰り返し画布の前に立たせる、世界そのもののなかにある、ある律動的なものだ。この二つは、重なり合うこともあれば、合わないこともある。