●『現代美術の展開』(藤枝晃雄)は、学生の頃のぼくにとって「現代美術」の教科書のようにして読まれた。なぜ他(の人)の本ではなくこの本だったのかについては、おそらくこの本が他の本より面白いと思ったからなのだろう。そして、この本を「教科書」としたことが、それ以降、現在までのぼくにある決定的な「方向付け」をしてしまった(ある刻印がなされてしまった)ということは否定できない。それが、良かったことなのか悪かったことなのかについては、もはや何も言えないが。
(勿論、だからと言ってぼくが「藤枝晃雄の教え」に忠実だというわけではまったくない。学生の時に読んだ『現代美術の展開』と『ジャクソン・ポロック』以外の本は、そんなに熱心に読んでないし。)
たとえば『現代美術の展開』に収録されている「最後の絵」というテキストで、グリーンバーグの「近代主義絵画」を引用(最初の引用)したあと、次のように書いている(二番目の引用)。こういうところは、今でもぼくのなかに強く残っている。
《近代主義絵画がその最終段階でものの再現的な描写を放棄したことは原則によるものではない。近代主義絵画が原則として放棄したのは見分けのつく主体的な物が存在できる空間である。》
《問題は人物が描かれているか、抽象的な図形で描かれているか、という形態上の差異に由来するのではない。それらを存在させ、住まわせる住処なのである。キュビズムは対象の単なる直線的、曲線的な分解とその関係づけにあるのではない。抽象は幾何学的な造形要素とその平塗りからのみ構成されているのではない。たとえ幾何学的な形態が用いられていても、背景と前景、明と暗から構成されている画面を真の抽象と呼んだりしない。また、文学的、観念的な絵画といえども、それをあらわす空間への配慮がなければ、内容が当の絵画から顕現してはこない。われわれの周囲には、そのようなラディカルな装いをこらしたにすぎない因襲的な空間をもった作品がころがっている。デュシャン---たびたびかれを引き合いに出すのは、とくに「絵画的な取り引き」をよしとする人によるデュシャン信奉への皮肉からである---がいったように、「絵画が目的でなく手段である」なら、どうして絵が描かれねばならないのか。》
ここで重要なのは「見ることの徹底」であるより「空間の組成」であろう。細部を細かく「見る」ということが問題なのではないし、「見ることの不確定さ」が問題なのでもない。「見ること(見えるもの)」だけが問題だということでもない。「空間」という言い方はちょっと独自で分かりにくいかもしれないのだが、図を顕現させる地のあり様、あるいは、図と地の関係のあり様のことが「空間」と呼ばれていると考えておけばよいと思う。地というのは、たんに図の背景ではなく、図を見えるようにしている見えない秩序のことだ。そのような「地のあり様(空間)」の違いを、イリュージョン(見える=感じることが出来るが「これ」とは明確に指示できないもの)として顕現するのが作品であり、このイリュージョンのあり様が作品の「質」である、と。
イメージそのものであるよりも、そのイメージを存在させるための「その住処」、イメージをそのように見えさせている「その布置」こそが作品から観られるべきもので、それが「(因襲的な空間をもつ)他の作品たちとどのように違うのか」が、作品の判断の問題とされている。だからそれは本来、目には見えないものだ。見えるものを見えるようにしている見えないものを見てとること(顕現すること)、こそが「作品」の問題とされている。繰り返すが、それは「見ることの徹底(見えるものへの還元)」とは違う。「それ(空間)」はそもそも「見えないはずのもの」なのだから。ぼくは、そのようなものの見方を藤枝晃雄から刷り込まれたのだと思う。
(学生の時、大学の図書館で、七十年代から八十年代の「美術手帖」と「みずゑ」のバックナンバーのほとんどを読んだ。今から考えれば無駄な努力としか思えないが---そんな時間があれば外国語の文献を読むべきだったと今なら思うのだが「何を読めばいいのか」というメタ情報がなかった---自分で調べなければ「現代美術」について教えてくれる教師などいなかった。八十年代に入るとそうでもなくなるのだけど、七十年代は「美術批評」の花盛りのような時期で、多くの批評家が、同時代の作家やその作品の評価について常に激しく論争をしていた。藤枝晃雄は、そのなかで有力なプレイヤーの一人ではあったが、決して唯一の人というわけではなかった。七十年代の藤枝晃雄はたとえば、東野芳明や峯村敏明などとの緊張関係によって---つまり七十年代の批評的な状況のなかで---際立っていたと言える。そのようにして雑誌のバックナンバー---七十年代の---で読んだ藤枝晃雄の方が、単著で読んだ藤枝晃雄よりも、ぼくにとっては影響が大きいかもしれない。『現代美術の展開』には主に七十年代に書かれたものがまとめられている。つまり、八十年代終わりから九十年代初めに学生だったぼくにとって、その時点で既に「十年以上古い」ものに影響を受けてしまったのだった。)
(逆に言えば、「同時代の批評家としての藤枝晃雄」には、そんなに影響を受けていない。)
●『現代美術の展開』には、1977年版と、1986年版がある。大学の図書館で借りて最初に読んだのは77年版で、後に本屋で買うことが出来た(今でも持っている)のは86年版だ。そして、86年版には、77年版には収録されていた福島敬恭論(客体としてのプロセス)とリー・ウーファン論(アクションとプロセス)が削除されてい.る(77年版が手元にないので確認できないのだけど、その代わりに86年版に収録されているのが確か「日本現代美術のABC」という、理論家としてのリー・ウーファンを批判したテキストだと思う)。そして、ぼくの持っている86年版の本の間には、大学の図書館で借りた77年版からコピーした、福島敬恭論とリー・ウーファン論が挟まっている。
(77年版には山田正亮論も入っていたような気もするのだが、記憶が曖昧だ。少なくとも、七十年代の「美術手帖」か「みずゑ」では山田正亮に対して肯定的に言及しているはずだし、鼎談もしている。)
(七十年代の「みずゑ」で連載されていた、同時代の作家との対談シリーズもよく読んだ。意外なことに、川俣正をもっともはやい時期に評価したのが藤枝晃雄だったりする。追記。「みずゑ」で藤枝、川俣対談が載っているのは80年6月号でした。)