ヘレン・フランケンサーラー

●最近、ヘレン・フランケンサーラーという画家にとても興味がある。最近と言っても、そのきっかけは一昨年の8月に府中美術館でやったホイットニー美術館の展覧会で観たことだから、もう一年半くらいになる。抽象表現主義の女性画家では最も有名な人で、加工していない生の綿布に絵の具を直接しみ込ませて描くステイングという手法で知られる作家ではあるが、現在の美術の文脈から言えば、完全に忘れられた過去の人という感じで、(研究の対象にする人はいても)その作品の現在性を問題にする人など、おそらく殆どいないだろう。でもぼくは、府中で「アーデン」(1961年)という作品を観たとき、絵画はまだまだイケる、と、この絵からは抽象表現主義とはまた全然別の可能性が引き出せるはずだ、とビンビンに感じたのだった。しかし、現在の美術の状況では、抽象表現主義など全くの過去のものとされてしまっているし、なおかつ、フランケンサーラーは抽象表現主義の最も重要な作家とはみなされていないので、日本では、実物を観ることはおろか、図版さえ簡単には観ることが出来ない。美術を勉強したことのある人なら、おそらく名前くらいは誰でも知っているだろうけど、実際にどんな作品を描いているかと聞いても、なんか色がふわーっと広がっているような、よくある抽象表現主義っぽい絵、というくらいのイメージしか湧かないのではないだろうか。(フランケンサーラーはまず「美人」として有名で、一時あのグリーンバーグとつき合っていたという事実もある。アメリカには、グリーンバーグがフランケンサーラーに出したというラブレターも保存されているらしい。しかし、フランケンサーラーは八十歳くらいで、まだ生きているはずなので、その手紙は、フランケンサーラー本人が手放したとしか思えないのだが。)
で、今日、古本屋を覗いていて、フランケンサーラーを特集している、78年の「みずえ」を見つけて、なんと二百円(税抜き)で購入したのだった。(それにしても、「みずえ」は美術の専門誌ではあるけど、専門家だけが読むというような雑誌ではなくて、普通に本屋に並んでいるような商業誌で、そういう雑誌がフランケンサーラーの特集を組むことが可能だったというのは今から考えると信じられない話で、七十年代にはまだ日本にも美術ジャーナリズムが存在していたのだなあ、と驚く。)
「みずえ」の図版を観て分ったのは、ぼくが興味を感じるフランケンサーラーは、1950年くらいから61年くらいまでの時期の作品で、それ以降は急速に、最も安易な意味での「抽象表現主義」っぽい絵になってしまっている、ということだ。ある意味、抽象表現主義的な形式の典型的な作品で、これでも当時としては面白かったかもしれないけど、今観るとそれほど興味は持てない。(フランケンサーラーと言って普通に思い起こされるのは、62年以降の作品の方だろう。)
ぼくはずっと、フランケンサーラーは(本質的ニは)「形式」にはあまり興味の無い「感覚」一発の人で、そのことの「危うさ」と「強さ」の両面が作品に強く出ているのだろうと思っていた。だからこそその作品は、抽象表現主義の作品の多くが陥っている形式的な息苦しさ(あまりにも生真面目に一方の方向しか見ていない感じ)から逃れられていて、その絵の具の運動そのものがダイレクトにこちらの身体に作用するような作品を作ることが出来るのだが、同時に、時にもの凄く安易なところで絵を成立させて満足してしまうような弱さもあったりするのだろう、と。しかし、年代を追っていくつもの作品の図版を観ていると、それは全くの間違いではないにしろ、正確ではないのだと知った。フランケンサーラーはむしろ、初期には、形式的に堅苦し過ぎる、生真面目過ぎるようなキュービズム的なあまり冴えない絵を描いていて、それがある時期(50年代はじめ)に突然、解放されるというか、崩れ落ちるというか、どちらにしろ寄る辺の無いところに漂い出すという感じなのだった。そのきっかけは伝記的事実として割合はっきりしていて、51年にポロックの展覧会を観た、ということなのだ。
つまり、それ以前には、ゴーキーやデ・クーニングのような、キュービズムの延長にあるような(フレームによる統制のきつい)抽象絵画を描いていたのが、ポロックのショックによって、キュービズム的な線や面が、キュービズム的な統制を解かれて漂い出すところに、フランケンサーラーの絵画に特有の状態、絵の具の状態がそれを観ている者の身体や神経を直接揺さぶるような生々しさが、ふっと浮上してくる、ということなのだと思う。それはいわば、ゴーキーとポロックの折衷的な表現なのだが、しかしそこには、ゴーキーにもポロックにもない、全く別の可能性が、地平が開けているように、ぼくには感じられるのだ。(どちらかと言うとゴーキーに近いと思うのだが、ゴーキーの絵画が生み出す「幸福感」は、現在の不幸によって要請される「過去の幸福=記憶の絶対化」によって生まれる感じで、だからそこには強く知的な制御が働いている感じがするのだが、フランケンサーラーは、もっとぶっきらぼうに、無防備に、絶対的過去のような拠り所なしに、神経的な快楽へと、だらしないまでに開かれている感じがする。勿論そこにも過去=記憶は介在しているのだが、それはあくまで「たまたまドライブへ行った時に見た風景」みたいなもので、絶対化されたものではない。まあ、この違いはぶっちゃけ、ゴーキーは貧乏で不幸な苦労人で不能で、フランケンサーラーはいいとこのお嬢さんで美人だ、という違いなのかも知れないけど。)
フランケンサーラーが本当にそんなに凄いのか、と詰め寄られれば、あまりにも少しの作品しか実際には観ていないこともあって、そうだ、と強く言えるわけではない。でも少なくても、何かしらがそこに(そこの先に)ある筈だというような、濃厚な予感のようなものは確かにあるのだ。
●勿論ぼくはゴーキーもポロックも大好きだし、フランケンサーラーによってゴーキーとポロックの(形式上の)対立を止揚しよう(乗り越えよう)などという単純なことを考えているわけではない。というか、そういう「問題化」そのものをバカにしている。(まあ、今時そういう形式上のことを「問題」とする人もいないわけだけど。)70年代に美術ジャーナリズムや美術批評が生きていたということはつまり、そのような「問題」がまだ生きていた(共有されていた)ということで、今では「問題」が消えたことで「批評」も消えた。しかし、「問題」がなければ起動しない思考なんて、もともと思考とはいえないと思う。
●ちょっと調べたらフランケンサーラーは1928年生まれで、50年代に最も良い仕事をしたとすると、それはほぼ二十代ということなのだった。(出世作であり代表作でもある「山々と海」は52年に描かれた。24歳でこんだけの絵が描けてしまうのか。)いい家の娘で、美人で、若いうちから大活躍で、しかも、抽象表現主義の他の作家が自殺したりして死に絶えたあとも、一人長生きしてまだ生きてる、って、この人の人生あまりに順調過ぎて、だんだん腹が立ってきた。