●八王子市夢美術館で鈴木信太郎展。近くにあるのに初めて行った。(「夢美術館」なんて名前のところにはなかなか足が向かない。)鈴木信太郎という画家については何も知らなくて、チラシの絵がなんとなく引っかかっていたのと、「夢美術館」にも一度も行ったことがないし、この機会に、と思っただけで、たいした期待もしていなかったのだけど、意外に良かった。いかにも「昭和の洋画家」という感じの絵で、たいして上手くもないし、かといって素朴というわけでもなく、いたって中庸な作風なのだけど、その中庸さというか緩さというかヌルさが全然嫌ではなくて、むしろその中庸さがある種の楽天性というか、幸福さに結びついていて魅力的で、結局、絵ってこういうことなのかもしれない、目ん玉ひんむいたり、奥歯を噛み締めたり、キーッとなったりして追求するようなものではないのかもしれない、と思わされる。時にマティスのようで、時にボナールのようで、時に国吉康雄のようであるのだけど、マティスにしては大胆さが足りず、ボナールにしては色彩の煮詰め方に粘りが足りず、国吉ほどの、身体のなかから滲み出して来る体臭のような独自な味があるわけでもない。結局、何をやっても「日本の洋画」という範疇に納まってしまうし、そのことに何の疑問も葛藤も持っていない感じ。でも、こういう言い方もどうかと思うけど、「人柄の良さが絵から滲み出ている」というか、この人は絵が本当に好きなのだなあ、と思わさせられる。中庸であることの品の良さが感じられる。時間をかけて観ていれば観ている程、好きになってゆくような絵だ。須田国太郎とか坂本繁二郎とかよりも、ぼくには、ずっと良いのではないだろうか思われた。
あからさまにボナールみたいだったりするこの画家の、この画家にしかない特異性があるとすれば、緑の使い方にあるように思えた。展示してある作品を観る限りでは、この画家の作品で質が高いと思われるものは、ほとんど全て「緑の絵」と言えるほどだ。これはぼくの個人的な好みに過ぎないののかもしれないのだけど、ぼくは、チューブから出してそのままみたいなナマな緑(特に黄緑に近いような色)の不用意な使用を耐え難いと感じてしまう。例えば、中西夏之の絵に不用意に侵入してくるあの「黄緑」を、ぼくは決して許す(受け入れる)ことは出来ない。あるいは、ぼくが『魔女の宅急便』という映画を受け入れられないのは、映画の全編を覆うあの「黄緑」のヌルさに耐えられないからなのだ。(ぼくにとって、緑の使い方はどうも、その画家を受け入れられるか、受け入れられないかの、とてもセンシティブなポイントであるらしい。これは、どこまで一般化出来るかわからない、ぼく自身の私的な資質の問題なのだと思うけど。)鈴木信太郎もまた、かなり不用意な感じで、チューブから出したそのままみたいな緑を使う。その使い方は、ボナール風だったりマティス風だったりするのだけど、ボナールやマティスほど練られている訳ではなく、結構無邪気で、無頓着な感じですらある。にも関わらず、緑をこんなにたやすく(無防備に)、かつ、豊かに使える人はあまりいないのではないかと思われるくらい、緑が良いのだ。時間をかけて、分析的に観てみても、何か特別なことをやっている風には見えず、おそらく描いている対象(草花や芝)の固有色に引っ張られて、自然と出て来る緑に過ぎないようだ。それでも、この画家の絵のなかで、多くの面積を緑が占める時、そこに独自の質があらわれてくるように感じられた。(緑が画面の多くを占める時、この画家は最もマティスに近づく。それは形式的に近づくというのではなく、「質」として近づくのだ。)
あと、この画家は風景と静物を多く描き、決して人物は得意とは思えないのだが、この画家の資質が最大限に発揮されるのは、風景と静物の中間くらいのスケールの「庭」が描かれる時だと思う。それは外(外光)に向かって開かれていると同時に、狭い、親密な範囲内に閉じられている。鈴木信太郎の絵画それ自体(そのキャンバスのひろがり)が、庭のようにして構成されている、と言って良いかもしれない。緑の庭が描かれた四点の作品、「丸い池のある風景」「緑の構図」「青い庭(芭蕉と紫陽花)」「青い庭 芭蕉」は、時間をかけて、観ていれば観ている程、面白く感じられ、好きになってしまうような絵だった。あと、おそらく代表作と言えるのだろう「孔雀の庭」は、あからさまにボナールなのだけど、ボナールよりもより「崩れて」いて、その崩れただらしなさが神経に麻薬的に作用して、なんとも素晴らしい。この画家は、典型的な「日本の洋画家」なのだけど、「日本の洋画」から常に感じられる鬱陶しさが、この画家からは不思議と感じられない。こういう人がいたんだ、と思うと、何か風通しがよくなったような感じになる。
●激しい腹痛と下痢におそわれて、まる二日間何も腹に入れることが出来なかった日から、ずっと禁酒していたのだけど、今日は予想外に良いものが観られてうれしくなって、焼酎を買って帰って飲んでしまったのだった。これから夜中じゅうかけて、原稿のつづきを書かなくちゃいけないのに。