⚫︎「一票の格差」というのは、議員一人当たりの有権者数の違い、ということだけではないと思う。たとえば、強すぎる地盤を持つ世襲候補がいて、その候補とガチで争い得る対立候補をどの政党も立てていない場合、その選挙区の(「地盤」の外にいる)有権者は実質的に選択肢を奪われている。つまり「票」を奪われている。
「どんな一票も無駄ではない」とか言う人がいるが、そんなはずはない。たとえば、下に示したのはWikipediaの「神奈川15区」の項からスクショ。これをみて「私の一票に意味がある」などとと思えるはずがない。候補者が競っている選挙区の一票とは価値が全然違う。
(だからせめて、状況そのものに「否定」の意思を示すための「白票」の権利が欲しいのだが。)
⚫︎いつも思うのだが、たとえば「五つの選択肢」があり、その中から自由に一つ選んでくださいというのは自由でもなんでもない。「五つの選択肢」ができてしまっている時点ですでに「構図」が決定されてしまっているから。そうではなく、最初に提示される「五つの選択肢」のありようそのものを検討・批判することができて、前提(地)となる「その構図」を根底から変えられる可能性かある、というのが自由だと思う。
(過去にも書いたことのある例だが、芥川賞の選考委員になど大した権限はない。「権力」は、候補となる五作を、どのような配置・配分として構成するかを決定する側にこそある。それが決まってしまえば、「その後」でできることなど僅かなことでしかない。そうであるにもかかわらず、多くの人の関心が「その後」の方に集中してしまうというのが罠なのだ。)