2020-06-22

●集団的に何かを決める時に、全員に等しく一票が与えられて投票し、多数をとったものに決まるという投票のあり方(多数決)の限界というか、それへの不信を前々からずっと感じていた。たとえば、メカニズムデザインの研究をしている酒井豊貴は、単純な多数決とは異なる集団的決定のあり方として「ボルダルール」を提唱している。

多数決の代替案として最適な「ボルダルール」

https://diamond.jp/articles/-/96679

『ラディカル・マーケット』の第二章「ラディカル・デモクラシー」は、まさにその問題について書かれていて、「二次投票(QV)」という非常に説得力のある回答が示される。

●まず、多数決の何が問題なのか。

《(…)3人(アントワーヌ、ベル、シャルル)がルイ16世の身に起こりうる三つの結果に投票するように言われているところを想像してみてほしい。(1)斬首される、(2)王位に復権する、(3)民間人として追放される。結果の選好順位はそれぞれ違うとする。アントワーヌはルイ16世反革命を率いることを何よりも恐れているので、選好順位は斬首、復権、追放となる。王政主義のベルは、復権、追放、斬首である。シャルルは君主制を憎んでいるが、暴力も嫌いなので、追放、斬首、復権となる。最初に斬首と復権で投票してもらうアントワーヌはシャルルも復権より斬首を選好しており、そうでないのはベルだけなので、2対1で斬首が勝つ。次に、復権と追放で投票してもらう。アントワーヌとベルは復権の方を選好し、そうでないのはシャルルだけなので、2対1で復権が勝つ。そして最後に、斬首と追放で考える。ここは2対1で追放が勝つ。しかし、これらを考え合わせると、確定的な結果が出ない。斬首は復権に勝ち、復権は追放に勝つが、追放は斬首に勝つのである。》

《これでは誰が勝つべきかまったくわからなくなってしまう。問題は、アントワーヌ、ベル、シャルルが、三つの提案に対する関心の強さの度合いに基づいて投票できないことである。いまの投票システムでは、情報がきちんと伝わらない。票が伝えられるのは、ある結果を別の結果よりも選好しているということだけで、その人がその結果をどれくらい選好しているかはわからない。三つの結果が3人のそれぞれの幸福にどれだけ影響するかを直接測ることができれば、3人がより幸せになる結果を選べるようになる。一例として、ルイ16世が王位に復権するとアントワーヌ本人が斬首される一方、王が斬首されると、革命が起きて、3人とも、程度の違いはあっても、大きな害を受けるとすると、3人にとっては、ルイ16世を追放することが最前の結果になる。通常の投票システムでは、この結果を選ぶことはできない。》

《この議論はその後、ヴィックリーの門下生で、ノーベル賞受賞者で、おそらく20世紀最高の経済学者であろうケネス・アローが、有名な「不可能性定理」で形式化、一般化して、投票者が候補者を選好順にランク付けする投票ルールでは、この種の問題は克服できないことを示した。これに対し、市場取引では、お金をたくさん払うか、少なく払うかによって、財やサービスに対する選好の強さの度合いを伝えるシグナルを送ることが可能である点に注意してほしい。価格システムは効率的な結果を達成できるが、投票では達成されないと、大勢の経済学者が考えている重要な理由がこれである。》

●多数決がヒトラーによる独裁を招いた(多数決循環論)。

《(…)歴史学者のリチャード・エヴァンスは著書『第三帝国の到来』で、ドイツ国民のうち極右を強く支持した人は10%にすぎなかったとしている。だがヒトラーは、1930年の選挙で、政治システムは腐敗しており、国民の要求に応えていないとして抗議票を投じた人から、さらに10%の上積みをした。ナチ党はドイツ議会における中道右派の主要政党として、主導的な地位を獲得する。1932年の次の選挙では、多数の中流階級のドイツ人が、スターリン主義の赤いテロがドイツに波及するのを防ぐ最後の砦としてナチスに投票したため、ナチス議席は倍増した。その一方で、ヒトラーを恐れた多数のユダヤ人、少数者、労働者、左派は共産党に投票したので、ヒトラーが負けたら、共産主義が勝ってしまうという中流階級の不安がますます強まることになった。こうして相互不安、暴力、不信が連鎖する負のスパイラルが加速していき、翌年、ヒトラーは首相に任命され、ナチ党は独裁体制を確立した。》

ヒトラーは、民主的な制度を全廃させる前でさえ、反対勢力を弾圧しながら大衆の支持を拡大させていった。どうしてそんなことができたのだろう。ヒトラーは最初に左派と少数者集団の権利を制限する政策をとった。その多くはこうした空気の中で人気を集め、ヒトラーはドイツ主流右派の二つの有力政党と連立を組むことになる。いずれにしても、こうした集団は「少数者」であり、したがって嫌われ者で、危険な存在ですらあった。ところが、より伝統的なドイツの右派は読み違いをしていた。共産主義者社会主義者が政治の舞台から排除されると、伝統的右派が長く連携してきたカトリック系中道が次のターゲットにされたのである。それ以降、ヒトラーは伝統的右派を抑圧し、ナチ党内の反対勢力さえも封じ込めた。》

《それぞれの段階で、ヒトラーは政治機構に残っていた者から有効過半数をとりつけており、粛正は、民主主義の普遍的原理を損なうものだとしても、「民主的」だったともいえる。これが、政治学者のリチャード・マッケルヴィが提唱する「多数決循環論」のロジックである。多数者が少数者を搾取し抑圧しないようにチェックする機能がない多数決の原則は、狭い派閥による支配、さらには1人の強権者による独裁体制へと退行しやすい。》

●市場(オークション)の原理を政治(投票)に適用するためのロジック。ここの考えがとてもおもしろい。トウモロコシを買うためには《トウモロコシをあなたに分配することで社会が放棄するものを社会に補償しなければいけない》。

《(…)現代民主主義の創造者たちは新しい政治秩序を築いたが、自分たちがつくったものに不安を感じていた。少数者の権利が守られていない。多数者が専制している。悪しき候補者が逆説的に勝つ。多数決を繰り返すと独裁体制が生まれる。そして、民主主義では見識の高い人の意見が無視される傾向がある。すべては、人々の要求や関心の高さの度合いも、一部の有権者の優れた地検や経験も反映されないという、民主主義の弱点に原因があった。要求も関心もより強い人に資源を割り当て、特別な才能や洞察を示した人に報いるもっとよい方法がある。それが市場である。》

《標準的な市場は、私的財産がそれをいちばん高く評価する人に分配されるように設計されている。その最たる例がオークションである。》

《だが、公共財のロジックは根本から違う。公共財はそれを最も高く評価している1個人に分配されるのではなく、社会の全員が得る利益の総計を最大化するように公共財全体の水準が決定されなければならない。そうした公共財に関する集合的決定が、ベンサムのいう「最大多数の最大幸福」をもたらすようにするには、あらゆる市民の声を、その財がその市民にとってどれだけ重要であるか、その度合いに比例して反映されるようにするべきである。標準的な市場では、これは達成されない。》

《(…)われらがヒーロー、ウィリアム・ヴィックリーが登場する。オークションの原理を政治に適用する際の問題は、オークションそのものにあるのではなく、その原理が間違って解釈されていたことにあると、ヴィックリーは気づいた。(…)オークションの背景にある考え方は、対象の財を最高額入札者に配分することではない、とヴィックリーは説く。そうではなく、自分の行動が他人に課すコストに等しい金額を個々人が支払わなければいけないというとこだ。》

《集団的決定をするときには、検討されている公共財から影響を受ける人は、投票したいだけ投票する権利を持っていなければいけないが、その投票が他者に課すコストは全員が支払わなければいけない。お店からトウモロコシを買うとき、その価格は、トウモロコシの次善の社会的使用価値を表している。したがって、それを買うためには、トウモロコシをあなたに分配することで社会が放棄するものを社会に補償しなければいけない。(…)それと同じように、投票では、集団的決定が行われる国民投票(あるいは他の種類の選挙)で負けた人にあなたが与えた損害を補償しなければいけない。あなたが支払う金額は、あなたの投票によって負けた市民が選好していた別の結果になっていたら、その人たちが獲得していたであろう価値に等しくなる。》

《ではこの仕組みはいったいどうやって機能するとされていただろう。ある人が自分の投票(場合によっては複数の投票)によって選挙に影響を与えることで他人にどれだけ損害を与えたかを、どうやって計算するのだろう。(…)公共財に影響を与える個人が支払うべき金額は、その人が持つ影響力の強さの度合いに比例するのではなく、その2乗に比例するべきだとされたのだ。》

つづく。

●(補遺) 『ラディカル・マーケット』は、VECTIONの議論のなかで西川アサキさんから教えてもらった。

https://vection.world/