大島渚が亡くなったそうだ。ぼくにとってのベスト3は、『帰ってきたヨッパライ』、『無理心中日本の夏』、『日本の夜と霧』、ワーストは『新宿泥棒日記』。高校生の時に一度観たっきりで、強く印象に残っていて、ぜひもう一度観たいと思っているのが『東京戦争戦後秘話』。あと、『戦メリ』は青春の思い出。
ベタだけど、クインシー・ジョーンズ「AI NO CORRIDA」を聴きながらしんみりする。
http://www.youtube.com/watch?v=eKFhmSUxMUo
●一昨日書いた桑山忠明展について、蛇足をもう少し。あくまでいい加減に書かれた蛇足だけど。
ものすごくぶっちゃけて言えば、あの展示は、30年から40年くらい前の「現代美術」の一つの傾向における問題とその解答(達成)の非常に教科書的な再現だと言ってもいいものだと思う。教科書的というのは、ここでは諸問題に対する解答がとても整理された形で示されているけど、実際にリアルタイムで七十年代になされていた展示実践(桑山忠明に限らない)においては、諸問題、諸解答はそれほど整理されてはいなくて錯綜し混乱ていただろうし、作品の精度的にももっと低かったであろうと思われるから(ぼく自身は、この時代については事後的に勉強して知ったにすぎず、リアルタイムで展示を観ているわけではない)。
そしてこれは特に日本において顕著なことだと思うけど、八十年代終わりから九十年代はじめ頃に大きな時間の断層が生じて(主に九十年代前半と言うべきだろうけど、八十年代後半からその萌芽はあった)、その時点で「昔の(ある種の)現代美術」はほぼ絶滅してしまい、それ以降からそれ以前への遡行を可能にするような記憶の連続性が喪失するという事態が起こった。
(八十年代後半と九十年代後半の両方を、現場で美術とかかわっていた人ならば、九十年代前半を挟んだこの二つの時期では、美術をとりまく空気や風景が、作品に対する自分の感受性も含めて、まったく別物に変わってしまったということを実感していると思う。その間も一貫した姿勢で作品を発表しつづけたようにみえる作家においてさえも。)
だからこの展覧会に対する驚きと戸惑いは、すっかり喪失されてしまったと思っていた過去が、非常に鮮明で純化された形で回帰してきたことによる。これが(歴史を振り返る)回顧展であるのならば特に驚くこともないのだけど、近作展であるというところにうろたえてしまう。言い方は悪いが、博物館の剥製としてしか残っていないと思われた種が、実際に今も生き生きと生きていた、という感じに近い。少なくともぼくにとっては。
九十年代に起こった断絶は世界的なものだと思われるけど、しかし、おそらく欧米においては断絶(というか、地殻変動)はあってもそれは「昔の現代美術」の「絶滅」にまでは至らず、その水脈は保たれ、ただ、日本においてのみ絶滅が起こってしまったということだと思う。桑山忠明はニューヨークを拠点にしており、そしてこの断絶が起こる以前にすでに一定の評価(位置)を得ていたことによって、潮目に影響されることなく、断絶以前の問題を高い緊張と鮮度ともに保持し続け、それを純化させることが可能だったのだろうと思う。そしてそれが、すっかり記憶の喪失(不連続化)が進行した日本に回帰してくる。
ぼくの「桑山を上手く観ることができる感じがしない」という戸惑いは、ここからくる。一昨日の日記に20年前に観たかったと書いたのは、それはぼくが学生の頃という意味もあるけど、そのような切断が進行している、まさにその時、そのだだなかでこそ観たかったと(その時にこそ心の支えになってほしかった、と)いうことでもある。
若い人なら、このような文脈などとは無関係に、新たなものとして桑山の作品に出会うのだろうし、そこでそれぞれが勝手に創造的な誤読をすればいいと思うのだが、多少なりとも過去-記憶-その問題系を引きずってしまっている者とすれば、半端な記憶にひっかけられて(もはや半端なものでしかなくなった記憶に拘束されてい感じ)、なかなかそういうわけにもいかず、どうしても見方が偏ってしまうというか、姿勢が硬くなってしまう。このような戸惑いは「日本という場所による視野狭搾」による効果にすぎないかもしれないけど。
確かに、「これ」を、こんなに高い精度と緊張をもって持続しつづけ、今、これだけのものとして成立させるということには大きな驚きを感じ、それをしている作家への半端ではない敬意が生じる。しかし同時に、でも、「これ」って、30年〜40年前の問題(問題の構成のされ方)から何の進展も変化もないよね(洗練はあっても)、という風に引っかかる感じもある(いや、正確には、桑山忠明としての展開はあったのだと思う――七十年代の桑山は、写真でしか観てないけど、おそらくもっと絵画的だっただろうと思うけど、現在ではジャッドやモリス的なスペシフィック・オブジェクトっぽい達成が積極的に採用−利用されている感じになってきている――けど、でもその展開のあり方は結局、六、七十年代的な文脈の内部に納まるものだと思う)。おそらく、メタリックな塗料の技術的な進歩を除いては。で、それがいいことなのか、悪いことなのか、お前はそれをどう考えるのだ、と、自分に自分が問いつめられる感じがある。
(例えば、桑山とブライス・マーデンの「現在」を比較した時、どうなのか、とか。)
●一昨日の日記で、Room1の作品についてあのように書いたのは、きっと形式的には正しい読みではなく、ぼくのからだが勝手に(無意識的に)誤読した結果なのだと思う。ただ、ぼくにとってあの感覚はかなり強烈なもので、言葉の上だけの解釈の問題などではなく、非常に深い恐怖を感じたのは事実なのだ(その恐怖は帰りの、駅までのバスの中まで持続した)。そしてぼくは今、桑山忠明をそのようにしてしか観ることができない。というか、そのようにして、ようやくかろうじて、半端な記憶から逃れて「観る」ことができる。