2021-04-08

●従来からある差別感情と、陰謀論に絡んだ被害妄想的な差別感情とは、別物として分けて考える必要があるのではないかと思う。従来の差別主義者は自分たちがマジョリティだと思っている(あるいは、マジョリティであるが故にマジョリティ=自然と思っていてマジョリティである自覚がない)。しかし陰謀論的差別主義者は、自分たちがマイノリティであり、不当に抑圧あるいは迫害されていると思っている。だから差別対象を攻撃することは正当なことだと思っている。

差別主義者は差別対象を見下しているが、陰謀論的差別主義者は差別対象を恐れている、のではないか。恐怖に支配されているからより攻撃的になる。

(たとえば「LGBTばかりになると足立区が滅ぶ」と言った足立区議は、「世界を滅ぼす勢力」としてLGBTを恐れているようにみえる。)

(おそらく正確には、本来ならばマジョリティであるはずの我々が、本来ならマイノリティであるはずの「奴ら」の陰謀によって本来の位置を奪われマイノリティに貶められている、という形になっているのだろうから、従来通りの差別感情が元にあり、それをもうひとひねりこじらせているということだろう。差別感情によって「誇り」が保たれ、もうひとひねりによって「現状の不遇感」が表現されていると思われる。)

ハンナ・アレントは、ユダヤ嫌悪と反ユダヤ主義はまったく別物だと言っている(らしい、孫引き)。ユダヤ嫌悪は従来からあるものだが、反ユダヤ主義は19世紀になって(帝国主義以降の世界状況のなかで)生まれた歴史的に新しいものだ、と。そして、全体主義ユダヤ嫌悪ではなく反ユダヤ主義を利用することによって拡大しえた、と。ユダヤへの差別の形が、なんとなく気にくわない異物という像から、撲滅すべき敵という像に構成され直した。

もちろん、従来の差別ならば容認できるということではない(むしろ従来からの差別が根深くあることが問題の根本なのだが)。しかしさらにもう一段危険なものとして、陰謀論的差別主義があるのではないか。陰謀論的差別主義においては、陰謀論という共通の物語によって立場や利害の異なる者たちの浅い結びつきによる連帯が容易であり、政治的な組織の拡大と結びつき易いように感じられる。全体主義は、人々の欲する「世界観」を与えることを通じて民衆を支配すると、アレントは言っている(らしい、孫引き)。

(全体主義は、圧政を通じてトップダウン的に強制させられるものではなく、世界観を欲する民衆による草の根的な「大衆運動」として広がるものだと、アレントは言っている、らしい、孫引き。)