2021-04-07

●これは前にも書いたことがあるかもしれないが。コロナ以降、いままでライブスペースでやっていたようなトークイベントが、有料、期間限定で配信されるようになった。有料で期間限定(期日を過ぎると観られなくなる)であることによって「ここだけの話」という閉鎖性をある程度確保しつつ、配信によって地理的な限定性がなくなる。こういうイベントは都市部でしか行われないが、配信であることで地方の人も観られるようになる。

ぼくは、たとえばロフト系列のスペースみたいな所に行ってイベントに参加するという習慣はなかったのだが、たまにロフトのサブカル系の配信イベントを観るようになった。正直、そこそこ面白いかなあ、というくらいなのだが、「閉鎖的な場だからこそ聞ける踏み込んだ話」にこそ宿る得意な感触というのは確かにあるのだなあとは思う。そういうものに触れることには意味があり、だから、頻繁に、ではないが、たまには課金して観る。

(閉鎖性があり、マイナーであることによって可能になる自由というものがある。陽の当たらない隅っここそが潜在性の育つ培地だ。そういうものは外に晒すと枯れてしまう。もちろん、外からの批判にさらされることのないそれが、悪の温床にならないという保証も、腐敗しないという保証もないが---オンラインサロンとか占い師や整体師とかボーイズクラブとかパワハラとかやりがい搾取とかネガティブな例は枚挙にいとまがない---そのような危険があるということもまた、そこにある自由と可能性のうちに含まれている。だからこそそのような場では、他者に対する「信頼性」がその成立の必須条件となる。この場にいる人はとりあえずは信頼できるという環境を成立させるための閉鎖性の重要さ。そのような場ではじめて可能になるような何か。だがその可能性はそのまま腐敗の危険に直に接してもいる。だから、腐らないように閉じる---閉じても腐らない---にはどうすればよいのか、というのは重要で切実な問いだと思う。)