2020-11-21

陰謀論にかんして、サブカル的な想像力が原因みたいなことを言い出す人がいるかもしれないけどそれは違うと思う。そもそも、陰謀論の歴史は古く、サブカルが生まれるよりもずっとずっと前からあるはず。だからこそ深刻で根の深い問題だということなのではないか。サブカルを犯人に仕立てて溜飲を下げるというのは、それ自体がまた別種の陰謀論となるのではないか。

勿論、サブカル的想像力が陰謀論的なものとまったく無関係であるとは思わない。陰謀論は、サブカル的想像力の源泉だとさえ言えるだろう(サブカル陰謀論の原因ではなく、その逆なのだと思う)。だが、いわば弱毒化された陰謀論としてのサブカル的な想像力が、より深刻で害の大きい陰謀論に対する免疫として機能することも少なくないのではないかと期待したい。とはいえそれは、サブカルの人が陰謀論に陥らないということではない(というか、その実例ははっきりあるだろう)。この件に関して本当のことは、サブカル的なものにまったく触れていない人と、サブカルにどっぷりな人と、どちらがより陰謀論にハマりやすいのかについて、きちんと統計的に調査してみなければ分からないはず。

いずれにしろ、簡単に犯人を特定したり、特定の事象に責任を押しつけたり(あるいは、必要以上に自分を責めたり)するのは、それ自体がもうひとつの陰謀論となるということは意識しないといけないと思う(責任がまったくないとも言えないのは勿論だが)。

陰謀論(あるいはカルト)を、たとえば「歴史や社会をより幅広く勉強すること」で防ぐことができるとは思えない。知識の量や幅、教養、あるいは頭の良し悪しなどの問題ではないのではないか(適当な例かどうか分からないが、ハイデガーナチスを信奉していた、とか)。我々にとっての、常識や、現実や、ファクトと言われるものを「信じる」ための基盤となるものは、我々が平常である時に感じているよりもずっと不確かで、不安定で、壊れやすいものだと思う。普段、大地の上に立っていると思っていても、実はそれが薄氷でしかないことが露呈してしまう状況がある。それは容易に壊れ得るものであり、壊れてしまうことがある。その底が抜けてしまうということは、誰にでも起こり得る。

(まして、鈍感な常識人であることを嫌い、炭鉱のカナリアであろうとする人ならばなおさら。)

それ(現実を「信じる」ための基盤となる手続き)は大地ではなく薄氷であり、たからこそとても丁寧に扱わなければならないのだと思う。しかし、丁寧に扱ったからといって、かならずしもその破綻を防げるとは限らないとも思う。人の思考ソフトに存在する脆弱性につけ込んでその内に入り、思考の底を抜いて思考を破壊してしまうウイルス的な作用に対する有効な対抗策はみあたらない。

(故に---「混乱」からではなく---「自分の利得」のために意図的にデマを拡散するという行為は許しがたいのだが。)