2022/02/27

●『逃げた女』(ホン・サンス)をU-NEXTで観た。ホン・サンスすごい。同じような映画ばかりつくっているようでいて、毎回ちゃんと新しい。そして、どんどんシンプルになって、しかもめちゃくちゃ面白い。監視カメラの映像をそう使うのか、とか、猫をこんな風に撮った映画は他に知らない、とか。そして、音楽の質感が不思議だ。

ズームを使えば画面のサイズが変わるのだから、カットを割る必要がない。カットを変える代わりにズームをして、引きのフィックス画面から寄り気味の構図になれば、そこでカメラは自然に動き出したりする(これは実質的にはカット割りであり、連続性を強調するいわゆる「長回し」とは概念が違うのだと思う)。だから俳優は(実質的にカットを割っているのに)途中で途切れることなくどこまでも演技を続けることができる。1つの場面を最初から最後まで続けて演じることが出来るというのは、ホン・サンスのような映画にとってはとても重要なことだろう。当たり前と言えば当たり前のやり方だが、それをとことん使っていると思った。

あと、これはネタバレというより、誤読(過剰な意味づけ)に過ぎないのだと思うが、三つ目の話(三人目の女性のエピソード)で、ある「仕掛け」を感じてしまって、背筋が寒くなるほど驚いた。

キム・ミニはこの映画で、三度出かけて三人の女性に会うのだが、その三つの全ての場面で「私は結婚してからの五年間、ずっと夫と一緒に居て、夫と離れて過ごすのは今日がはじめてだ」と言う。でも、「はじめて」が三度あるのはおかしい。二度目の時は、これは誇張した言い方で、二度目というよりはじめてと言った方が「ずっと夫といる」ということを分かりやすく伝えられるからだろうと思った。しかし、三回目が口に出される前に、相手の女性(友人)が、人気作家である夫(キム・ミニの元カレでもある)がテレビに出た時に同じ話を何度もするのが嫌だ、同じ話をするとそれが本心とは思えなくなる、ということを言う。キム・ミニもそれに同意する。そしてその後に、「私は五年間ずっと夫と一緒で…」という「三度目のはじめて」として「同じ話」をする。

つまり、ここでキム・ミニの言う「五年間ずっと夫と一緒」というのは嘘なのではないか、いや、そもそも結婚しているということも疑わしいのではないかと感じてしまって、恐ろしくなったのだった。キム・ミニは、三人の女性に嘘をついて回っていたのではないか、と。

(常識的に考えれば、夫の出張が何日間かにわたるもので、その間に三カ所を訪れて三人の女性と会った、ととるべきだろう。だとすれば「はじめて」という言葉が三回繰り返されても少しもおかしくない。しかしこの場面を観た瞬間は、「え、嘘なの…」と感じてしまったのだった。そして妄想が暴走する…。)

三つ目のエピソードでは、キム・ミニが、カフェとイベントスペースとミニシアターが併設されている施設を訪れると、たまたまそこで(元カレを奪った)友人が働いていて、イベントスペースでは元カレである「先生」がブックコンサートをしていたということになっている。喫煙所で「先生」と出くわしたキム・ミニは「あなたに会いに来たのではない」と言うが、それは本当なのか。「先生」のイベントを知ったから来たのではないのか。そして、実はキム・ミニは「先生」と別れてからずっと一人なのではないか(映画の終わり方もなんとなく孤独感を漂わせた雰囲気だ)。

(キム・ミニは、「先生」を奪ったことを謝罪する友人に、彼のことはもうほとんど憶えていないくらいだから気にするな、と言う。しかしその後の会話で、彼女が「先生」とのことをよく憶えていることが分かる。ここでもキム・ミニは嘘をついている。)

繰り返すが、これはあくまでも、小さな徴候を必要以上に過大評価する(まさに陰謀論的な)適切ではない読み込みだ。この物語の主軸は、夫の強い拘束から逃れて、ふっと宙に浮いたような数日を描くことにあるだろう。この数日によって、キム・ミニば、自分の現状についてそれまでとは異なる視点を得る、と考えるのが適切な読みだ。しかし、映画を観ている途中で直観的に、「え、これもしかして嘘なの」と感じてしまった瞬間のその驚きと怖さ---映画の世界が反転した---は、ぼくにとって「この映画の経験」の一部として貼り付いてしまった。

(このような、細部の違和によって世界が反転する驚きの感覚が、人を陰謀論へと導く一因なのかもしれない。だとすれば、ぼくは相当に陰謀論体質だ。)

(追記。最初のエピソードで、髪を切ったのかと先輩から指摘されて、自分で切った、自分で切ってから美容院で整えた、と言う。この言い方は、最初に「自分で切った」時の行動が衝動的なものであったことを窺わせる。ここから、物語のはじめの時点でキム・ミニは既に自分の現状に不満であり、「夫の強い拘束」から逃れたがっている---逃れたがっている自分を自覚している---ことが読み取れる。『逃げた女』というタイトルは、キム・ミニが意識的に「夫から逃げてきた」ことをあらわしているのかもしれない。彼女が会いに行くのが、離婚して若い女性と二人で暮らしている先輩、未婚のままで新しい恋愛をしたりストーカーからつけ回されたりしている先輩、そして、元カレを奪った友人であるのは、自分と夫との関係を見直すためのかなり意図的な選択が働いていることが感じられる。これは、陰謀論的な強引な読みではないはず。)