2021-04-16

●『はるか、ノスタルジィ』(大林宣彦)を観た。80年代の大林宣彦はリアルタイムでけっこう観ている。2000年以降の作品も、(『この空の花 -長岡花火物語』以降の作を観てから遡行するという形でだが)かなり多くを観ている。だが、90年代の大林作品をまったく観ていなかった。93年公開のこの映画を観て、90年代の大林がぼくの関心からすっかり外れてしまっていたのも仕方がないと納得した。もし、リアルタイムで観ていたら散々悪く言っていたと思う。いや、悪く言うもなにも、途中で耐えられなくなって、最後まで観られなかっただろう。今回、最後まで観ていられたのは、『この空の花』以降の作品への興味があるからであり、『この空の花』以降の作品へとつながるなにものかを探しながら観ていたからだ。

この映画に対してポジティブに言えることは数少ないが、一つ言えるのは、この時期の大林には、自分の映画のスタイルを変えようという意思があったのだろうということが読み取れる点だ。80年代の大林は、売れっ子として多くの作品をつくることを通して、(きわめてオーソドックスな意味で)映画の演出が急速に上手になっていく。「おもちゃ箱をひっくり返したような」という紋切り型表現で語られた商業初期作がら、みるみる普通のスタイルになっていく。おそらく、オーソドックスな意味での演出の巧さのピークが『さびしんぼう』ではないか。しかし『はるか、ノスタルジィ』ではそのようなスタイルをかなり強い意志で壊そうとしているようにみえた。だらだらといつまでもつづく冗長なカットに、だらだらと音楽がかかりつづけ、その上にさらに感傷的で説明的なナレーションがだらだらとかぶさる。上手くいっているとは思えないが、これは意図された弛緩だろう。なにか別のスタイルを探っているからこうなるのだと思う。それは、不連続な短いカットを繋げる初期作品とは逆向きのベクトルをもつ探求のようにみえる。

『この空の花』以降の作品のスタイルを初期や自主映画時代への回帰だとするのは間違いだとぼくは思う。そこには断層があり、別の様相の現われがあると考える。その根拠のひとつに主題の変化が挙げられる。ある時期までの大林にとってもっとも大きな問題は「ノスタルジー」であったのだが、ある時期から(90年代からゼロ年代初めの作品をかなり観ていないので明確に線は引けないが)、「死」への関心がノスタルジー以上に大きなものになっていく。というか、ある時期までの死は、ロマンチックでノスタルジックなものだったが、ある時期から「自分が死ぬ」ものとしての「死」の問題(あるいは、「自分の死」について考えざるを得なくなるような「他人の死」という問題)が前面に出てくるようになった。戦争という主題の前面化も、死への関心の強まりと連動してでてきたもののように思われる(『野ゆき山ゆき海べゆき』にも「戦争」と「死」があるが、基調としての「ノスタルジー」がより強くある)。初期作品の形式はノスタルジーの表現にかかわり、晩年の作品の形式は「死への関心の高まり」にかかわるように感じている。

だが、主題や関心の変化の徴候と、作品の形式の変化の徴候とは、必ずしも重ならないかもしれない。まず、作品の形式の変化が先行し、事後的に、それが関心の変化と上手くシンクロしたということではないかという気がする(「気がする」という程度の確信しかないが)。『はるか、ノスタルジィ』における、意識的に間延びさせられた時間(空間)は、現実的な三+一次元の時空の、再現、表象、フレーミングモンタージュの放棄であり、(初期の作品とは違う形で)それとは別の時空のあり様を模索するものなのではないか。鳴りつづけて耳が麻痺してしまうような劇伴、しつこいほど繰り返される切り返し、くどくてうっとうしいナレーション、だらだらつづくカットやシーン、などは、現実的な時空間の感覚を麻痺させ、そこから離脱させようという狙いをもったものだったのではないか。この作品では、そのような時空感覚の消失は、あくまで---初期作品とは別の手触りをもつ---ノスタルジーの喚起のために仕組まれているのだが(初期作品のノスタルジーが、あくまで映画や文学というメディアを介したイメージへのノスタルジーだったのに対して、ここにあるのは『さびしんぼう』に通じる、直接的に私小説的なノスタルジーであるようにみえる)。ここにみられる「くどさ」「しつこさ」は、最晩年の作品から得られる感触に近いものだとも言える。だとすれば、この作品から二十年後に現われる、晩年の爆発的なスタイルへ至るもののかすかな端緒が(というか、前スタイルからの切断面が)、ここにみられるとも考えられる。