2021-04-17

●(昨日の補足) 『はるか、ノスタルジィ』の印象は、とにかく「しつこい」。音楽がしつこいし、ナレーションがしつこい、謎解きがしつこい、のだが、なにより「切り返し」がしつこい。そんなに何度も切り返しする? 、この場面もまた切り返しなの? 、と思ってしまう。驚いたのは、石田ひかり松田洋治が結ばれる場面(というか、そのアクション)で、松田洋治石田ひかりの肩をつかんで「押し倒す」のだが、ここでも、押し倒す松田洋治のアップと、押し倒される石田ひかりのアップとバストショットが、切り返しで示されていた。こういう動作をこんな撮り方をする映画を他にみたことがないと思った。ただ、ここにまで至る様々な場面で、何度も何度も切り返しをみせられていたので、驚きよりも、「ここでもまた!」という気持ちの方が強いのだが。

性交シーンが切り返しで示されるというのは、よくあるやり方だと思うが、その前の段階にも、切り返しが使われる。要するにここでは、二人の身体が直接触れ合ったり重なり合ったりしているところを見せたくないということだと思われる(切り返しは、見つめ合う二人を別のフレームへと分離させる)。意味として性交はしたが、身体として触れ合ってはいない(触れられない)。しかしその後、勝野洋石田ひかりは直接(切り返しではなく、一つのフレームのなかで)、裸で抱き合う。松田洋治は、少年時代の勝野洋(主役)の役なのだから、少年時代の自分は、少女と触れあってはいけないが、中年になった自分は、少女と直接触れ合ってもいいのだ(中年である自分こそがようやく少女と触れ合えるのだ)、という見え方になる。中年男性の欲望の発露としてなまなまし過ぎるなあ、と思った(この映画には、中年おじさんの性的妄想が、オブラートに包んだ風でいて実は全然包んでいない「丸出し」のまま現われている)。『はるか、ノスタルジィ』には、全体に渉ってこのような気持ち悪さがあるということは、付け加えておきたい。

(松田洋治石田ひかりが性交する時、二人の間に行き違いと誤解があるのだが、勝野洋石田ひかりとの性交時には、その誤解は解かれているのだから、「触れ合わない/触れ合う」の違いでその「誤解の解消」が表現されているという言い訳は、一応できる。)

(勝野洋石田ひかりに名前を聞く時、「名前をいいなさい」という言い方をする。えーっ、と思う。相手がうんと年下だとはいえ、初対面の人の名前を聞く時にナチュラルに命令口調の人ってどうなの?、警察なの?、教師なの?、と。この映画にはそういうところ---中年男性の上から目線の偉そう素振り---も沢山ある。若い時だったら、そのひとつひとつにいちいち腹を立てていたと思うが、今となっては、これはかえって、歴史的資料として、分析対象として、貴重なものではないかと思いながら観ていた。これはあくまで、ノスタルジックなイメージとしての「中年男性」像であり「作家」像なのだと思う。)