2023/06/20

⚫︎マニアックという語の暴力性ってあるなあと思った。メジャーではないもの、もっと言えば「普及品」ではないものすべてをマニアックという箱(カテゴリー)に入れて処理する健全な粗雑さの行使という意味で。多くの人はひとかけらの悪意もなく無邪気にそれを行う。「個性的な人」という言葉の雑さに近いなにか。マニアックという語の使用に「悪意」が込められた場合は、それより多少は繊細になるか。

マニアックという語の当たりは柔らかく、優しげであり、強く否定や拒絶を響かせるものではない。しかしそこには、あなたの嗜好は尊重しますし、それを理由にあなたを拒絶したりはしません、しかし、この件に関して、こちらからはこれ以上踏み込まないし、そちらから踏み込まれたとしても困惑します、という意思表示が含まれる。そこに関心はありませんという、かどのたたない婉曲表現。

⚫︎とはいえこれはあくまで「マニアック側」からの視点であって、自分が関心を持たないものに対する認識が雑になるのは仕方がない。というか、誰でもがそうである。

⚫︎だが、雑な認識は差別の起点になる。差別の起点として、恐怖と享楽と雑な認識があるのではないかと、最近思う。差別する対象への恐怖、差別的な言動を行うことそれ自体に享楽を見出してしまうこと、そして雑な認識による妥当性のない紋切り型の押し付け。恐怖や享楽によって差別する場合は、おそらくある程度は差別的である自覚があると思われるが、雑な認識による差別の場合、自覚の持ちようがない(多くの場合、これらの起点が複合的に作用していると思われるが)。認識が変わることで初めて、事後的に自分が差別的であったことを知る(故に、誰でもが等しく差別的であり得る)。

(マニアックという語の、悪意ある使用が、悪意のない使用よりも繊細にかんじられるのは、そこに語の使用が持つ暴力性への「自覚」があるからだろう。)