2023/11/04

⚫︎『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』、一話、二話を観た。『空の青さを知る人よ』と『心が叫び違ってるんだ。』が素晴らしかったので、何度目かのチャレンジ。七年前の自分の日記に、《今まで、何度トライしても、途中で観るのをやめてしまっていた『あの花』を最後まで観られた》と書かれているのを検索して見つけたが、ほとんど憶えていない(印象にない)し、《フラクタル』のネッサが『あの花』のめんまに転生(発展)したのではないか》という一言しか感想が書かれていない。

今回改めて観ても、苦手だという感触が強くある。登場人物たちに共有された後悔(=トラウマ)の設定が安易だとしか思えないし、六人のキラキラした過去のあり方の作り方も安易に感じられてしまう。ちょこちょこと入る「泣かせ」的な要素も安易に感じる。ぼくにはどうしても「ノスタルジックな感傷」に染まることへの抜き難い抵抗があり、この作品では細部の多くがぼくの「感傷警戒センサー」に引っかかりまくるので、観つづけているのがなかなか辛い。だが今回は、できるだけ心をフラットに保つように努めて、最後まできちんと見届けたい。

作品の表面的な感触は苦手だが、死者が何かしらのメッセージを持って復活するのだが、そのメッセージが謎(空項)になっていて、その「メッセージを解読する」という過程を通して、死者に対して「後悔」を共有する五人の生者たちが、過去を読み直し、バラバラになってしまった関係(現在)を作り直すという物語の構え自体は興味深いものだと思うし、それがどのような形として構築されているのかには興味がある。

現在を軸にして過去を読み直すような話は、往々にして、その「過去の読み直し=現在の関係の組み直し」を促す力の源泉となるノスタルジーに、あまり質の良くない感傷が絡まりがちだ(「あの花」は、ぼくにはそのようなものにみえる)。だが、『空の青さを知る人よ』では、同様に「現在」の中に「過去」が出現する話だとしても、その過去(こちらは死者ではなく「生き霊」だが)に直面するのが「過去の姉と同年代の妹」であることで、「過去への振り返り(姉)」があくまで「現在への直面(妹)」として現れることで(あるいは二重化して現れることで)、過度な感傷を纏うことが避けられている。構造上の違いが、表面的な感触の違いにまで現れることになるのだと思う。