2023/11/17

⚫︎YouTubeで動画を観ていたら龍角散のCMが挟まれて、《空気の中には外敵がいっぱいで… 喉イガイガ ! 》と言っていて、今まで特になんとも思わずに流して聞いていたが、改めて意識すると、こんなにキッツイ表現する ? と驚いてしまった。「空気の中には外敵がいっぱい」って、なかなかすごい(怖い)表現だ。「外敵」って、余程でないと使わない(ある意味、政治的に偏った)言葉だ。

ここで、龍角散のCM(だけ)をことさら批判したり危険視したりする気はない(もっともっとヤバイ広告などYouTubeを観ているといくらでも湧いて出てくる、それらに比べれば一見してヤバイものには感じらないマイルドなものだと言っていいだろうし、だから、これまでなんとも思わずスルーしてしまって、改めて驚いたのだ)。ただ、あくまで一般的な、空気というか、傾向の話として、「一発でわかるようなわかりやすさ」に流れるのはやはり怖いなと、改めて思った。

【CM】龍角散ダイレクト「のどを元気に龍角散篇」 株式会社龍角散 - YouTube

また別の話で、これはもうかなり前で、もしかすると十年以上前のことかも知れず、この日記にも書いたことがあるかも知れないことだが、電車の四人がけのシートに一人で座っていたら、途中駅で、向かいの二人並びの席に会社の上司と部下と思われる中年男性と若い女性が座った。しばらくすると女性の方が、上司に悩みを相談するような感じで、同僚の若い女性の体臭が気になって一緒に働いていてとても辛いという話をし始めた。なんか嫌な話が始まったなあと思いつつ、至近距離で対面しているので否応もなく聞かされる形で話を聞いていた。俺も臭いかと上司が言うと、いや、たばこの匂いとかは割と平気だけど、若い女性の生々しい体臭が辛いと言う。しばらく話していると、その人は自分の部屋の匂いを一定状態に保つ努力をしていて、だから部屋に人を入れたくないという話をし始めて、そこで、それまで自分が感じていた「嫌な感じ」が変化してきた。おそらくその人は本当に過度に嗅覚が敏感で、匂いは暴力のように強く彼女に作用し、その人にとって「世界」は、まさに《空気の中には外敵がいっぱいで… 》という状態で気が休まらないなのだろう、と。だから、せめて自分の部屋にいる時くらいは「自分にとって平穏でいられる」匂いの状態の中で過ごしたくて、そのためにさまざまな努力をしていて、しかし、他人が一人でもそこに侵入すると、それだけで、努力によって保たれた均衡が崩されてしまうということなのだろう。そこまで嗅覚が鋭い人の感覚的な経験を、ぼくはそれまで想像したこともなかった。だから同僚への態度も、匂いによって差別的な印づけをするというような意図ではなく、その人にとっては、だだ単純に、しかし切実に「辛い」ということなのだろう、と思った。

(これに対して上司は、人は一人では生きていけないから、自分を開いて、もっと社交的になった方がいいぞ、というアドバイスをしていた。)

そう考えれば、体が弱っている人とか、アレルギーのキツい人とかにとっては、《空気の中には外敵がいっぱいで… 》という表現がまさに適切である場合もあるのかも知れないとも思う。

(「この世界の現れ」は、本当に、一人一人それぞれ異なるのだ。)