●新宿のジュンク堂に、福永信×佐々木敦トークショーを聞きにゆく。その前の昼間に、朝早くから書いていた原稿が最後まで行った。勿論、まだ推敲が必要だが、とにかく最後までは行った。もう一つの仕事も、あと数日で終るだろう。普段、八王子の山の中(というか、普通に住宅街だけど)にいるので、新宿駅を下りると、久しぶりの人ごみでおどおどした感じになる。六月に入ってからずっと、そして今日も朝からずっと、原稿を書いていて、まだ「戻ってきていない」というせいもあると思うけど。さらに、ジュンク堂のカフェの狭い空間に、大勢の人がぎっしりつまっていて、いっそうおどおどする。最近、演劇とかダンスとかトークショーとかの客席で、狭いところに人がぎっしりいると、とても疲れる。電車だと、かなり混んでいてもわりと平気なのだが。
●髪を切ったので、知っている人に会って、挨拶しても、最初、え、誰?、みたいにキョトンとされて、一瞬間があった後、ああ、みたいな納得した顔にようやくなって、気がつきませんでした、とか言われる。ほとんどの人がそうだ。その一瞬の間に、その人の頭のなかでは、どんなことが起こっているのかと思う。完全にスルーされることはあまりなくて、だいたい、一拍おいた後には気づいてもらえるのだが、なぜ、最初に分からなかったものが、一拍後には分かるのかが不思議だ。それに、相手が「気づいた」その瞬間が、顔の表情で分かるのも面白い。「気づいた顔」というのがあるのだ。
●でも、福永さんには、分かってもらえたのか分かっていもらえていないのか、その場の反応からはよく分からなかった。けっきょく最後には分かってもらえた、ということは分かったのだが。
●福永さんの話で面白かったのは、「角を曲がる」と書くことで(書くだけで)ある感情が動く、角を曲がる、という感情がある、という話。そういえば、福永さんのデビュー作「読み終えて」はひたすら角を曲がる小説だったし、逆に、「五郎の読み聞かせの会」は、角を曲がらない(角を曲がることを禁じられた)小説だった。角を曲がることで世界が動いて行く感触というのは、よく分かる気がした。