松浦寿輝『花腐し』

『群像』5月号、松浦寿輝『花腐し(はなくたし)』。昨日の夜中、読み始めて、途中で眠くなったので寝て、今朝、起きてすぐまた読んで、読了。
これ、無茶苦茶好きです。ぼくは松浦氏の小説はどれも好きだけど、これは一番うまくいってるんじゃないだろうか。冒頭から最後まで、しとしとと細かい雨の湿り気が小説のなかを満たしていて、そのなかで、ほとんど世の中から降りてしまっているような中年の男2人と若い女1人が、擦れ違うように一時だけ交錯する。男2人はいつまでも酒をのみつづけ、女はマジック・マッシュルームでブッとんでいる。そしてその間、何度も主人公の男が昔同棲していた女の記憶が、しとしとと落ちる雨に誘発されて、くり返し召喚される。
舞台は、新宿歌舞伎町から、新大久保にかけての界隈、時代はバブル崩壊後で、明らかに現代の日本の社会、風俗を背景にしているのだけど、現代の風俗をリアルに描くというより、そこは生と死の中間地点への入り口のように機能している。
主人公の男は、永年仕事を共にしてきた親友の共同経営者に裏切られ、会社は倒産寸前。金策に走り回るが、もうこれ以上どうしようもなく覚悟をきめている、しかし、実際に不渡りが出るまでにはまだ数日の猶予がのこっている、という奇妙な中間地帯にいる。もう一人の男は、その男以外の住人は全て出ていった取り壊しの決まっているボロ・アパートに一人で居座り、人間の住む場所とは思えないその荒んだ部屋で、マジック・マッシュルームを栽培し、それをインター・ネットで細々と販売したりしながら、無為に生活している。男はバブル崩壊でこしらえた膨大な、とても自分では返済できないような額の負債を抱えていて、その巨大なブラックホールのような負債を前にすると、自分のちっぽけな存在など何の意味もないと感じつつ、その状態を楽しみながら、崩壊寸前のボロ・アパートに幽霊のようにとりつき、住みついている。まだ少女とも言える女は、マジック・マッシュルームが目当てで、男の部屋にしばしば通っては、ブッとんでるらしい。
主人公の男には結婚歴もなく家族もないが、過去に一度だけ同棲をしていたことがあり、別れた直後、事故死とも自殺ともとれる死に方(水死)をしたその女の、仕種や声や言葉の記憶が、雨によって何度も男のもとに訪れ、その度に男は自分が他者に対してなんて淡白で冷酷な男なのだ、と思い知らされる。
そして、それらの全て、男も女も、過去の記憶も、彼らが生きているその都市そのものも、降りつづける雨の湿りによって、ぐずぐずと腐ってゆくのだった。
怪異や幻想的なシーンなど一度も出てはこないけど、これは一種の怪異談のようなものだろう。新宿辺りの深い闇のなかにぽっかり空いた穴のような抽象的な、生と死の中間地点に集まって来る、ほとんど人間であることから降りてしまったような幽霊的な人物たち。辺りには細かい雨と湿った空気が立ち篭めている。しかし、こんな小説がこんなに好きでいいのだろうか。
読み終わって、遅い朝食というか早い昼食というかを買いにコンビニまで。ひどくいい天気に強い光で、くらくらする。目の前を薄茶色の猫が、見事なスピードで横切る。なんとなく『トラバター』という言葉を思い出す。
夕方、今度は駅前のパン屋まで買い物。駅前にいつもいる、真っ赤なキャップにグレーの長髪の、どことなくマイナー系ピンク映画の監督といった風情のホームレスが、駅の階段の下に胡座をかいて座っている。ポケットからタバコを取り出し、一本手に持って口まで運ぼうとするのだけど、その間にぽろっと地面に落としてしまう。何度も何度も同じ動作を繰り返すのだけど、その度に、ぽろっ、ぽろっ、とタバコを落としてしまう。何度やってもどうしても落としてしまうのだった。それをしばらくの間、ずっと見てしまう。
スーパーのお惣菜売り場で、たらの芽の天ぷらを買って塩で食べる。まあ、スーパーのなんだから当然といえば当然だけど、ころもがくちゃくちゃしていて油っぽく、たらの芽の味も香りもなくて、ただ腹がもたれただけだった。パン屋で買った、ガーリック・フランスというパンと、胡麻の入った捩りパンみたいなやつは、美味しかった。