椹木野衣への違和感/『平坦な戦場でぼくらが生き延びること』

椹木野衣氏の批評に対していつも違和感を感じるのは、美術に対する考え方や個々の作家や作品の評価が全く違うということにではなく、彼の批評が、ほぼ全面的に「共感」というものだけに寄り掛かっているように思えるという点だ。誰でも、ある作家なり作品なりに興味を感じるのは「共感」によるものだろうし、全く「共感」を持てない対象について語るのは下品なことだとさえ思うのだが、それでもその対象は他人のつくったものであり、他者そのものでもあるのだから、たとえばある作品と自己とをぴったりと重ね合わせることなどできる訳はないし、距離や不透明さをなくすことはできないはずだ。(いや、確かにそんな信じられないことができてしまう天才的な「思い込み」の人というのも存在するのだ、ということは認めるのだが。)だからこそそこには、分析なり解釈なりという作業が必要な訳だ。しかし椹木氏は、基本的に、手続きなしに同時代的な共感によって一気に対象を理解してしまい、その対象について、まるで自分の内面を告白するかのように透明に語ってしまう、という感じがどうしてもするのだ。例えばそれが最も極端な(緊張感を欠いた)形で出てしまっているのが岡崎京子論(『平坦な戦場でぼくらが生き延びること』)だと思う。ここでは距離や違和感や媒介性があっさりと無視されて、岡崎氏こそが、「ぼくら」の気持ちや「ぼくら」の世界観を「ぼくら」にかわって表現してくれる「ぼくら」の世代の表現者、ということにされてしまっている。椹木氏の使う「ぼくら」は、本来ちっとも「平坦」などではない、デコボコもあれば断層もある地面を、目くらましのように塗りつぶして表象し、ぼくときみとの非対称的な差異を見えなくして、あたかも「ぼくら」という共通の地盤、交換可能な位置関係が成立しているかのように錯覚させる効果をもつのだ。少なくとも「ぼく」には、この世界が「平坦な戦場」には全くみえない。差異や断層や暗闇や陥没点に満ちているように感じられる。(例えば小沢健二氏が『ぼくらが旅に出る理由』と言うときの「ぼくら」は椹木氏の「ぼくら」とは違って、その「ぼくら」の片割れであるはず「きみ」は、「あまり乗り気じゃなかった」はずなのにニューヨークへ旅立つことを勝手に決めてしまうような、決して「ぼく」とは同質ではない存在であるのだ。小沢氏にとって「ぼくら」とは、「ぼく」と「仔猫ちゃん」であって、相手が「猫」であるのだから、「ぼく」の半端な共感など通用する訳がないのだった。)

「ぼくら」という言葉には、差異を一気に塗りつぶして見えなくする効果がある。椹木氏は、岡崎作品もオウムもクローン羊の誕生も、それら全てを「平坦な戦場」である「ぼくらの時代」に起きた出来事として、感覚的にすんなりと「分かって」(共感して)しまうのだ。しかし、物事が本当にそんなに簡単に分かってしまえるのだろうか。それらをすんなりと理解してしまえるということは、ただそれらの事柄を自分勝手に内面化したというだけなのではないだろうか。つまり椹木氏は、「平坦な戦場」であるところのこの世界について語っているのではなく、ただ「自分の気持ち」を語り内面を告白しているだけなのではないか。そのことは、椹木氏の引用の仕方、ドゥルーズやハイデカーを引用するときの元の文脈をあまりに無視した身勝手な感じ、にもあらわれているように思う。(実はぼく自身も、世代としてはそう遠いという訳ではない椹木氏の書くものある部分、どんなものを「敵」としているかなどは、気持ち的には分り過ぎるほど分かってしまうという感じがあり、つまりそれは差異を潰して平坦にしてしまおうという心の動きなのだが、そのような安易な共感に流れがちなところがあって、それはある意味、とても心地よいものでもあるのだが、しかしそれがあるリミットをこえると、耐え難く気持ちの悪いものになってしまうようなものでもあるのだ。)逆の言い方をすれば、椹木氏にとって、この世界が「平坦な戦場」にみえるのは、彼が、彼にとって「ぼくら」と言い得るような同質性の内部にいる人間しか見ていなくて、それ以外の人間をすべて排除しているからにほかならないのだと言える。