藤田嗣治の「戦争画」について

藤田嗣治の「戦争画」について、ちょっと書いてみる。フジタの戦争画は四十年代に描かれている。この時代、ピカソマティスは既に一般的に認められて、大家として晩年を迎えているし、アメリカでは、戦火を逃れてきたヨーロッパの先鋭的なアーティストと、アメリカの若いアーティストの接触により、五十年代、六十年代のアメリカ美術黄金時代を準備するポテンシャルが高まりつつある時代だ。例えばジャクソン・ポロックは、プレ・オールオーバーというべき作品をつくりはじめている。そんな時代に、1830年に制作された、ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」の反復を目指すような「歴史画」が描かれていることのグロテスクさを考えてみてほしい。日本のなかにだけ居た人ならともかく、パリで成功するだけの才覚を持ち、西洋美術を深く研究していて目端が利き、最新流行のモードを体現していたいたフジタなら、モダニズムの画家たち(例えばクールベやマネ)が、何故、そしてどのようにして、それ以前のアカデミックな「歴史画」を否定し、刷新したかも充分に知っているはずなのだ。(クールベが、アカデミックな歴史画への挑発として描いた「オルナンの埋葬」は、1849〜50年に描かれている。)にも関わらず、フジタはまるで「歴史画」の(百年遅れの)再現こそが、日本における美術の発展に不可欠であるかのような反動的な振る舞いを演じてみせているのだ。これは悪い冗談であり、趣味の悪いパロディでしかあり得ない。(会田誠によるパロディを待たなくても、オリジナルが既にキッチュなのだ。)端的に言えば、フジタは「日本」という場所に日和っている。実際、戦争画に限らず、帰国後のフジタの作風は、エコール・ド・パリ風のフジタから、日本の「団体展」にも受け入れられるようなものへと巧妙にシフトしている。(戦争によって、自分の立ち位置の不安定さに不安を憶えたフジタは、なんとか依って立つことの出来る安定した地盤としての「日本」を性急に欲したのだと思う。この「不安に思う気持ち」それ自体を批判することはぼくには出来ない。結果としてそれは、無惨な失敗に終わるのだし。)クールベのリアリズムが「共産主義への夢」と不可分であるように、フジタの戦争画もまた、日本の「民族主義」と不可分なのは(フジタ自身がなんと言おうと)明白だろう。「戦争画」を見て、フジタのような優秀な画家に、あんな酷い絵を描くことを強いる日本という悪い場所や、戦争という状況に対して「怒り」と「悲惨さ」を感じこそすれ、それが傑作だなどとはとうてい思えない。
●描写という次元でみても、二十年代の充実した作品と、戦争画が描かれた四十年代のものとの違いは明らかだと思う。二十年代の作品の描線は、あくまでも目の前にいるモデルとの緊張関係から発しているものであり、モデルによって与えられるものをなんとか捉えようとするものである。つまりその描線はフジタの描線であると同時に、モデルによって与えられる描線でもあり、それは、モデルから発する感覚と、絵画の形式が要請するものとに共に引っ張られ、その緊張の震えのなかで引かれているようにみえる。対して、戦争画における描線は、(絵画の外にあらかじめ存在する)資料を正確に画面上に再現しようというような描線であり、たんなる些細な細密描写であり、そこには「見えているもの」が常に突きつけて来る感覚の制御出来ない過剰さや揺らぎはなくて、そのかわりに、あらかじめ用意されたセンチメンタルな感情だけがある。(その感情は主に、重たく塗り込められた地の「汚い色」の絵の具によって実現されている。)実際に「見る」ことによって得られる感覚の不安定さではなく、資料を精査することで得られる詳細さによってだけ描写がなされるから、その描線は画面から乖離し、ギラギラした傷のようにしか見えない(前にも書いたけど、ハイライト気味の白く細い線で細部を描き起こすというやり方は、画家としてとうてい受け入れ難い)し、捉えられる形態はやせ細ってしまっている。二十年代のフジタが描いたものは、供に異端者である、同士であり友人であるような女たちであるが、戦争画に描かれているのは、空疎な理念としての民族であり、それが(ミリタリーオタク的な)詳細な資料(細部)によって補強されているに過ぎない。そして、フジタにおいて、「戦争画」によって一度モデルから切り離された描線は、その後二度とモデルと親密に関係することが出来なくなってしまう。晩年のフジタは、モデル(現実)から切り離された「描線」だけが暴走する。それは、二十年代に描かれた女たちと、四十年代末の「カフェにて」に描かれている女とを比べてみれば、一目瞭然だと思う。ここに描かれている女は、ほとんど人形のようにしか見えない。フジタは、現実のなかにもう友人も同士も見いだせなくなってしまっているのだ。(そしてその端緒は、戦争画にあると思われる。これは、フジタ一人の責任に帰することではないが。)