●お知らせ。明日発売の「週刊読書人」5/10号に、金子遊さん、西川アサキさんとの鼎談(「吉本隆明の“宗教と死”」)が載ります。三人とも、三月に出た『吉本隆明論集 初期・中期・後期を論じて』の執筆者であり(金子さんは編者でもある)、吉本について、「論集」でのそれぞれの論考について、話をしています。「論集」では、金子さんが『共同幻想論』について、西川さんが『死の位相学』について、ぼくが「マチウ書論」と『最後の親鸞』についての論考を書いているので、話題は「宗教と死」をめぐるものになっていますが、(少なくともぼくは)そこに同時に「芸術」の問題を重ねて考えています。
●『オンノジ』(施川ユウキ)。ぼくはマンガをあまり読まないけど、それでもたまにはネットなどで知った、気になる作品を読んでみたりはする。でも、「上手いなあ」と思うことはあってもぐっとくるような未知の作家に出会うことはあまりない(最近話題の人では九井諒子とかけっこう好きだけど)。しかしこれは久々に「きた」感じ。マンガで、新しい作家に出会っておーっと思ったのは三好銀以来だろうか(「のび子ちゃん」も面白かったけど)。いや、三好銀は「新しい作家」ではないけど。
特に前半、「孤独」と「厳しい(絶望的な)現実」と「ほのぼの(ゆるゆる)」とが、どの傾向にも偏り切ることなく、ぎりぎりの絶妙なバランスで拮抗していることで生まれる「不穏で穏やか」な感じは、マンガに限らず、ちょっと他では見たことのない驚くべき表現になっているのではないかと思った。読んでいて、感情がどこに解決したらよいのか分からないような宙づり状態になるのだけど、でもそれが決してハードなものではなく、不思議な凪のような感覚になる。
それと、言ってみれば『漂流教室』のようなハードで大げさな話だとも言えるのだけど、そのような物語をこのような形(ゆるい絵、ゆるいネタの四コマの連なり)で語れるのだというところにも、すごく刺激を受けた。世界全体が根底から変質するという大きな話でもあり/なく、ごく狭い範囲の身の丈レベルでの小さな話でもある/ない、という形の物語のあり様に、こういう形もありなのかという未知の形式への驚きがあった。アニメとかでも、こういうのはあまりないんじゃないだろうか。