●『山の音』(成瀬巳喜男)をDVDで。成瀬の演出を堪能したけど、でも、成瀬は川端康成(原作)とはちょっと合わないんだなあ、という感じもある。成瀬の映画には、川端康成にある、そこはかとなく漂う変態性みたいなのは、ない方がいいんだよなあ、と。そこにある微妙な変態性(倒錯性)が、どうしても男性側を主体にしてしまうのだけど、成瀬の映画は女性側に寄ったときの方ときの方がいい感じがする。
いや、男性とか女性ということではないか。そうではなく、たとえば原節子の抑圧を(あるいは、原節子上原謙の関係を)、山村聰の視線を経由させないで直に出した方がいいというのか。山村聰が作品の中心にいるというより、あらゆる関係が山村聰を介して現われるという媒介的な役割になっていて、この間接性が成瀬の資質とちょっと違うというか、それによって原節子の力を充分に発揮させ切れていない感じになっているのかなあ、と。それと、成瀬の場合は、原節子というより、やっぱり高峰秀子なのかなあ、と。すばらしいのだけど、すべてがぴたっと合っている感じではないかなあ、と。
とはいえ、それも味わいの一つといえば、味わいの一つとも言えるのだけど。