2021-03-31

NHKの「名盤ドキュメント」の「風街ろまん」(はっぴいえんど)の回がネットにあがっていた(おそらく違法アップロードだろうからリンクは貼らないが)。名盤と言われるレコードの原盤のマルチトラックテープを聴きながら、メンバーがレコーディング時のエピソードを話したり、他のミュージシャンがそのレコードの何がすごいかを話したりする番組。2014年放送。

はっぴいえんどは、作詞を担当する松本隆以外は、メンバー全員が曲をつくり、自分のつくった曲は自分が歌うというコンセプトだった、と。だけど、細野晴臣は、自分の声を上手く生かすような曲がなかなか作れなかった。もともと声が低いのに、無理して髙い声を出す曲をつくって、で、リハーサルをしてもどうも気に入らなかった。なのでどうしても、細野曲のレコーディングはスケジュールの後の方へ押しやられることになる(細野は途中で、自分と音域が近いジェイムス・テイラーを発見し、この感じでやればよいときっかけを掴んで曲をつくれるようになる)。細野曲で、はっぴいえんどの代表曲のひとつである「風をあつめて」は、スケジュールの終盤に録音された。しかも、レコーディテング当日になっても曲は完成してなくて、スタジオの隅でアコギで完成させ、一回も練習することなく録音した、と。番組は、この「風をあつめて」の部分のエピソードをクライマックスとして構成されている。

細野は、曲が完成していなかったので、スタジオにメンバー全員を呼ぶことが出来ず(曲想が定まっていないので呼んでも指示できない、と)、ただ松本隆一人だけを呼んで、ドラム以外の楽器はすべて細野が演奏して録音したと語る。しかしこれは、あくまで番組の表向きのストーリーだ。「風をあつめて」にかんするエピソードが語られる直前に、(基本的に、故人である大瀧詠一以外のメンバー全員が集まってトークしているのだが)松本隆が海辺で一人でインタビューを受けている映像が挿入される。そこで松本は(「花いちもんめ」の詞と絡めて)「細野さんと大瀧さんの仲が悪くなって困っている松本がいる」ということを言う。さらに、星野源へのインタビュー映像で星野が「この曲はクレジットをみるとドラム以外は全部細野さんが演奏してる」「実質的には細野さんのソロ曲」と言い、スタッフから「何故だと思います」と問われ「えっ、それ悲しい話ですか」と発言するところが(わざわざ)使われている。

(「風街ろまん」レコーディング時に既に、大瀧の大手レコード会社からのソロデビューが決まっていたことも示される。)

明示的には決して示されてはいないが、番組の構成の文脈を読めば、これは細野晴臣が意図的に大瀧詠一を呼ばなかった---積極的に「呼ばなかった」わけではないとしても、「できれば呼びたくない」という気持ちがあった---こともありえるようにもみえてしまう(少なくとも番組スタッフはそう匂わせようと構成している)。つまり細野は、この曲については大瀧の手を入れずに、隅々まで自分の思う通りにやりたかった、ということもありえるのではないかと、視聴者に思わせるようになっている。また、もし、細野にそのような意図はまったくなかったとしても、バンドの曲を自分たち抜きでレコーディングしてしまうことを大瀧詠一(と鈴木茂)は面白く思わないのではないかということに(松本隆はそこに巻き込まれて気の毒だ、とも)気づくようなつくりになっている。

(松本隆のみが、バンドのぎくしゃくした側面についてぽつりぽつり語るが、番組はそれを拾いつつも、メインの物語には組み込まない。しかしそれはただのノイズではなく、じわじわ効いてくる。)

一般的にバンド解散の理由としてよく言われる「音楽性の違い」が、二枚目にして歴史的な傑作といわれるこのアルバムをつくっている最中に既に、調整しがたいほどに露呈していたのではないかということを(明示的にではなく)暗に示すことを、この番組はしているようにみえる。ここで視聴者が持つのは(というか、ぼくがここに書いてきたような推測は)根拠のないたんなる「邪推」である。細野ファンならば「そんなはずはない」と激怒するかもしれない。そんな根拠のない邪推を誘うような「語り」は許されるのだろうか。しかし、はっぴいえんどがわずか三枚のアルバムで解散しているのは事実であるし、メンバーであった松本隆が細野と大瀧の不仲やバンド内のぎくしゃくした感じについて語っているのも事実だ。つまり、そこに齟齬や対立があることは「邪推」ではないだろう。それによって、この番組の(そうとは明示せずに匂わす)語りは、アンフェアな印象操作とまでは言えないものにギリギリ留まってはいると思う。

この手の番組にありがちな、分かりやすくきれいなお話だけで済ませるのではなく、細野と大瀧という二つの異なる才能が、ただわちゃわちゃ仲良しにしているだけなわけないでしょうということを、逆に「ことさら(弁証法的に)対立を強調する」という別の形の「わかりやすい話」に落とし込むのでもなく、いい話はいい話として成立させつつも、その裏に別の流れを感じさせるという両価的な形で示している。なにかその感じがちょっと面白かった、ということだけをさらっと書こうと思ったら(この「感じ」をできるだけ正確に書こうとしたら)、思いの外長くなってしまった。

これはあくまで番組の「裏読み」であって、表側のストーリーとして細野晴臣は「大瀧のポップなロックがはっぴいえんどの柱である」とか、「大瀧とは冗談ばかり言い合っていた」「笑ってばかりいた」とか発言している。