2022/09/14

●八十年代のアイドルの動画をYouTubeで延々と観ているうちに一日が終わるという自堕落な過し方をしてしまった。だが一つ発見があって、それは「田原俊彦はすばらしい」ということだった。髪をキュッと上げた男っぽい田原俊彦ではなく、初期の、髪をふわっとさせたかわいい田原俊彦がすばらしい。中学時代のぼくは、同性のアイドル(というか、同性の若い奴)になど何の興味もなかったので、田原俊彦のすばらしさにリアルタイムで気付けなかった。八十年代のアイドルの多くは今そのままの感じでデビューしても微妙だと思うが、田原俊彦なら今でもいけるんじゃないだろうか。

 

Toshihiko Tahara - The feeling & rlm that rose rose in Tahara Toshihiko kun; 田原俊彦 君に薔薇薔薇 という感し - YouTube

 

恋=Do! - YouTube

 

田原俊彦「ブギ浮ぎ I LOVE YOU」 - YouTube

 

松田聖子 田原俊彦 グリコ CM 1980年 - YouTube

 

●それとはまた別の話。リルネードやFRUITS ZIPPERのMVを観て思うのは、日本のアイドルのある種の傾向の洗練度の凄さだ。日本が(日本のアイドルが)文化的にガラパゴスなのだとして、そのガラパゴスガラパゴスたる最も濃い部分にこそ、それを内破し得るポテンシャルが生まれ得るのだなあと思うのだった。

これらはある意味、「フジヤマ、ゲイシャ、萌え(かわいい)」といった意味で日本の紋切型そのもの(美的な日本)とも言えると思うが、しかし、紋切型が究極まで研ぎ澄まされることで、そこに別の位相が現れてしまった、という感じがある。究極まで丸くなることで尖っている、みたいな感じ。

(リルネードもFRUITS ZIPPERも、プロデューサーが元アイドルの女性だ、ということも大きいのかもしれない。)

(追記。リルネードが今月解散するの、知らなかった…。)

下の二曲はたまたまどちらもヤマモトショウの曲なのだが、詞だけをとってみても、題材としては紋切り型だとしても、どちらも「わたし」と「君」の関係が、相互投射的に入れ子になっているという複雑さがある。

(FRUITS ZIPPERの「わたしの一番かわいいところ」の詞は、恋愛を歌っているのではなく、アイドルとオタク―おそらく「おじさん」が想定されている―の関係を歌っているのだが、《なんだかさ知らなかったタイプの運命の人なの?/付き合ったりは無理ごめん/逆にでもそれより楽しいよ》という詞は、なにげに画期的ではないか。)

 

【MV】リルネード「もうわたしを好きになってる君へ」 - YouTube

 

【MV】FRUITS ZIPPER「わたしの一番かわいいところ-Watashino Ichiban Kawaii Tokoro」Official Music Video - YouTube

 

(どうでもいいことだが、ヤマモトショウは大学では哲学を専攻していて、卒論のタイトルは「物質の通時的同一性と現在主義」だそうだ。大陸系ではなく分析系っぽい。ソースは「豪の部屋」。)

●「アイドル」の定義として、次のようなものを考えたことのだが、どうだろうか。「推される」ことを主な目的として表現活動をしている人(あるいはグループ)、ただし、その表現内容については、能動的(自分発信)であっても、受動的(大人にやらされている)であっても構わない。