2022/12/31

●大晦日の夜から元旦にかけて聴いていたCD。

●『不穏な熱帯』(里見龍樹)を読み始める。第一部「他者」を読んだ。以下は要約的なメモ。

人類学には過去四十年くらいの間に、古典的人類学を揺るがす転回が二度あった。一つは八十年代から九十年代に起こった「再帰的転回」であり、もう一つは2000年代後半に起こった「存在論的転回」だ、と。著者は、2008年くらいに他分野から(十分な知識を持たないまま)人類学に参入したために、2009年および2011年に行われた最初のフィールドワークの実践において、この二つの「転回」の両方に一挙に直面せざるを得なかった。

大雑把には、再帰的転回とは、モダンに対するポストモダン的転回であり、存在論的転回は、ポストモダンに対するポスト・ポストモダン的(思弁的実在論的)転回といえるだろう。

再帰的転回は、「人類学の対象」の客観性・自明性の消失であり、それにかわってあらわれる「我々」と「彼ら」との間にある政治性の露呈であろう。それは、オリエンタリズム批判などにあらわれるような、「彼ら」についての表象(テキストの書き方)の問題であり、認識論的な問題であるとされた。

たとえば、古典的な人類学では、フィールドワークの一回性、実体験性と、学問的言説としての客観主義的記述と間の解消しがたい齟齬がごまかされ、「わたし/あなた」という双方向的な行為としてのフィールドワーク体験だったものが、「彼ら」に関する客観的な記述にすり替えられる(「わたし」は客観的な記述をする権利をもつ主体となり、「あなた」は記述される客体として三人称的な「彼ら」となる)。人類学者にとって過去の(わたし/あなたの双方向的)経験であったはずの出来事が、「彼らの文化」「彼らの社会」として現在形で書かれることで、あたかも彼らが永久不変の「異文化」や「未開社会」に生きているかのよう印象付けられる。

《フェビアンは、時制と人称代名詞のこのような使い分けによって、フィールドワークにおける「私」との間主体的な相互行為から独立して「異文化」があるかのような印象が生み出されてきたことを指摘し、さらには、「他者」や「異文化」のそのような客体化それ自体が帯びている暴力性を批判する。》

《(…)これらの批判を受け、一九八〇年前後から、人類学的知識の構築性や、そこから排除しがたい主観性・テクスト性や政治性を明示的に認めるような、再帰的あるいは自己言及的な民族誌が次々と生み出される。(…)人類学の対象としての「文化」や「社会」---たとえば「マライタ島のアシ文化」---が存在し、それを客観的に記述すればよいという想定がもはや維持しえなくなっていた(…)。》

(著者は実際に、フィールドワークの場において、「文化」や「社会」というものが決して固定的なものではなく、常に失敗可能性をもつ変化へのトライであり、不穏な環境により変化を強いられる不安を含むものでもあることを知る。)

《「これまでの人類学が問題にしてきた文化的他者などというものは実在しない。それは、グローバルな政治経済システムが生み出した周縁を想像上の素材として、西洋近代における表象・言説が構築したものにすぎない」》

だが、このような認識論的な転回は、《「テクスト」や「他者表象」をめぐる表象論的で構築主義的な議論への偏向、「立場性」(…)をめぐる政治的あるいは道義的議論への閉塞、「対話」や「主観性」あるいは「私」の語りを取り込めばよい、といった安易なスタイルへの帰着》などに繋がり、《テクスト・表象論に還元しがたい実在性》という視点の欠如をもたらした。と。

(たとえば、再帰的・認識論的・表象論的な思考では「地球環境の危機という実在性」について考えることはできない。)

(とはいえ、再帰的転回による「反省」は、ただ果てしない自己言及のみを生み出しただけではない。多くの人類学者が「伝統的な生活様式を維持した非欧米圏の地域=わかりやすい他者」ではなく、我々の「現代社会」の問題---《臓器売買、宗教的原理主義、医療、開発援助、難民といった主題》---をフィールドとすることになり、社会問題に対して貢献し得る人類学のあり方を生み出した。)

極端に言えばこれは「他者については語り得ない(そもそもそれは「他者」なのか?)」という語りばかりを繰り返す自己言及の閉塞のような状態だ。しかし、だからといって、古典時代にもどって「他者」や「異文化」についてあたかもそれが客観的対象であるかのように語ることは許されない。再帰的転回が閉塞を生んだのだとしても、それをなかったことにはできない(問題は解消されない)。

だが、ここで問題になっているのは、あくまで「わたしとあなた(他者)」の関係であり、政治であって、つまり人間と人間との関係にすぎない(他者表象の政治学)。ここに「広義の自然(実在性)」というものが絡んでくるはずだ、と。「広義の自然」とは、「狭義の自然(≒自然科学的実在)と対になった概念だという。

文化相対主義的な視点では、自然科学によって最も近い近似で記述され得る「唯一の(客観的な)自然」があり、その一つの自然を多様に解釈する多数の文化があるとされる。しかしそのようなものではない、「自然/文化」の二元論に収まらずに、自然そのものに多数性がみとめるような「自然」が「広義の自然」だ、と。

ここでもラトゥールのインパクトは大きいようだ。《科学技術社会論は、科学的知識それ自体に内在する実践性・不確実性や複数性を明らかにすることを通して、近代人類学における文化相対主義を暗に支えてきた、「自然科学によって解明される、客観的・普遍的な唯一の自然」という観念を解体してきた。》

著者は、「広義の自然」について、薮内匡『イメージの人類学』から引用する。《現代の民族誌的フィールドワークの対象が人間に限定されるのではなく、人間を含む様々な事物の全体に向かっていることである。……民族誌的フィールドワークは、一言でいうなら、人間的世界を取り囲む、広義における---あらゆる人間的・人工的なものを含めた意味での---自然的世界に向かっていくのである。》

自然は唯一の客観的なものではなく、多くのアクターたちの関係のネットワークと、その関係をやり直す諸力である、と。他者(社会・文化)の多様性ではなく、自然(存在)そのものの方に多数性を認めること。ここに、「存在論的転回」があらわれる(存在論的転回について、それを主導したヴィヴェイロスやデスコラに関する記述もあるが、それは他でも読めるのでここには書かない)。このとき「他者」とは、彼ら(人間・社会・文化)のことではなく「広義の自然」ということになる。《本書で言う「広義の自然」こそが、今日の人類学にとって重要な他者性として、あるいは、本書の「はじめに」でフーコーにならって述べた「外」として再発見されている(…)。》

たとえば、著者がフィールドワークしていたマライタ島のファウバイク村周辺の伝統的に人工島に住んでいる人々は、近年、サイクロンやツナミへの不安から「もう海には住めない」と言い、また、「海で捕れる魚が小さくなった」と言って、古い出自である山の民へと回帰しようと口にするようになっている。つまり「海に住まう」という従来の環境とのかかわり方と、「違う仕方で」関係する試行錯誤を「広義の自然」から強いられている。

再び、『イメージの人類学』からの引用。《長期間のフィールドワークを通じ、特定の民族誌的現実の中に深く潜入することによって、人類学者は、単に社会文化システムの「既に構成された形態」だけでなく、その背後にある「構成してゆく諸力」にも次第に接近していくようになる。そして、そうした研究対象の社会の「構成してゆく諸力」との接触のなかで、人類学者自身も、何らかの意味でアイデンティティの識別不能地帯へと踏み込んでゆくのであり、そこから新しいものを創造しようとする(…)。》

おそらく著者が「人類学の対象」と考えているのは、「広義の自然」に対処しようとする「(我々とは異なる彼らの形をした)構成してゆく諸力」の作用(「広義の自然」との関り直しの力)を捉えることなのではないか。しかしそれは、客観的に外から捉えるのではなく、人類学者自身もまた、「構成してゆく諸力」に巻き込まれ、「我々」と「彼ら」とが識別不能になっている状態のそれである、と。

《人類学者はフィールドワークという転置=転地の体験を通して、それまで生きてきたのとはまったく異質な「自然」、すなわち人間とそれ以外の諸存在からなる関係の中に入っていく。》

《(…)人類学者を含む「われわれ」と「彼ら」の同一性がともに不確かになるような「識別不能地帯」がたしかに生じている。》

東日本大震災の後、計画停電の際に使っていた懐中電灯を握りしめてマライタ島に戻り、アシの人々と、夜の調理小屋で火に当たりながら「ツナミ」の体験について語り合っていたとき、私が経験していたのは、まさしくそのような、「私」と「彼ら」の双方における「広義の自然」との関り直しであった。》