2023/01/20

●里見龍樹『不穏な熱帯』、第二部「歴史」第四章から引用、メモ。「忘れっぽい景観」および「人間以前でもあり、人間以後でもあるものとしての自然」について(人間以後の「自然」とは、関係性からの脱落によってあらわれる「自然」である)。

《(…)私がそのような歴史人類学的な文脈化のアプローチをあくまで一面的であると考えるようになった一つのきっかけは、パプア・ニューギニア北部、セピック川流域における人々と景観の関係についてのハリスンの民族誌であった。この民族誌のなかでハリスンは、西洋の景観とセピック地方の景観の根本的な性格の違いを指摘している。すなわち彼によれば、西洋で通常想定される景観が過去の歴史の痕跡を現在にとどめ、そのような痕跡の解読を促す「物覚えのよい景観」であるのに対し、セピック地方の景観は、人間活動の痕跡を急激に消失させる「忘れっぽい景観」である。このような議論を手がかりとして、私は、アシの島々をむしろ「歴史的記憶からの脱落」という観点からとらえ直そうと考えるようになった。》

《セピック地方の景観が「忘れっぽい」とはどういうことか。ハリスンによると、セピック川中流域では、河川の毎年の氾濫のために地形や景観が不断に変化し、たとえばかつての集落が土地ごと消失してしまうこともあれば、新たな土地が短期間のうちに形成されることもある。》

《(…)そのような消失は一面で、そこに住む人々が環境と関わる独特な仕方の効果でもある。すなわち、過去の諸世代あるいは死者の痕跡が過剰にとどめられるのを嫌うセピック地方の人々は、自然環境に手を加える際、そうした変形の痕跡が結果的には環境に溶け込み、人為的な産物とは認識不可能になるような仕方でそうしようとする。》

《たとえば川の付近に、カヌーによる移動のための新たな水路が欲しい場合、人々は、多大な努力を払って大きな水路を掘削する代わりに、「このあたりに水路ができたらよい」と思われる地点に、ごく小さく部分的な水路を掘っておく。そのような水路は、毎年増水の時期になると、川の氾濫によって急激に押し広げられ、結果的に、人々がもともと望んでいたような水路として形成される。しかもそのような水路は、事後的には、あくまで自然に生じた流れの変化と見分けることができず、その形成を導いた人為の痕跡は環境の中へと消失させられる。》

《(…)かつてセピック川中流域の人々は、森の中に新たな道が必要な場合、それを切り拓いてすぐに使用するようなことはしなかった。新たに拓かれた道は、敵対する集団に待ち伏せという襲撃の機会を与えてしまうからである。この危機を避けるため、人々は逆説的にも、いったん切り拓いた道を長期間放置し、再び草木がそこに生い茂り、もはや使われている道ではないかのように見えるようになって、はじめてその道を使用した。》

《右の水路が、半ば人為的に、しかし河川の氾濫という自然の現象にあくまで沿った仕方で掘削され、そのため自然に形成された水路と区別不可能であったように、ここでは、人々が切り拓いた道が、放棄された、もはや道ではなくなりつつある道と、意図的に区別不可能にされている。》

《(…)ハリスンにおいて、地形や植生といったセピック地方の「自然」は、人々の「社会的」あるいは「歴史的」活動に先立って存在する原初的な状態では決してない。そうではなくて、彼はむしろ、他の集団との関係の中で、周囲の環境を改変しつつ生活する人々の社会的で歴史的な営みが、そのような営みの領域の外部へと自らを脱落させていくような側面に注目し、地形や植生といった「自然」の事象を、まさしくそのような外部に見出しているのである。》

《(…)ハリスンの議論は、水路や道といった事物が、所与の「社会」や「文化」という関係性から脱落していく運動に、人と区別不可能になった「非-近代的」というべき「自然」を見出しており、そこでは、「自然/文化・社会」という両極間の運動が、近代的な想定とは逆になっている。セピック地方の「自然」は、われわれの理解する「自然」と同一ではない(われわれは通常、水路や道を「自然」の中へと解消させはしない)が、かといってそれと無関係でもない(河川の氾濫や植物の繁茂は、われわれにとっても「自然」の事象である)。また、ハリスンが描く水路や道を、「自然と文化のハイブリッド(複合体)」などとしてとらえてしまうと(…)、右で述べた関係性からの脱落という契機をとらえ逃してしまうことになる。》

《右で見たような水路や道は、河川の氾濫や草木の繁茂といった人間〈以前〉の現象に根差しつつ、それと同時に、人々が環境に手を加えるのをやめることによって立ち現われる、ある意味で人間〈以後〉の「自然」としてある。》

●上の記述を読んでいて、唐突に、久々に、「造成居住区の午後へ」(丹生谷貴志)を想起した。

《その「場所」は、それ自体としては、哲学的概念の森林を彷徨ったり(!)、内面や外界を複雑に周回しなければ見つからぬといったほど難解な場所ではおそらくない。ちょっとした散歩で足りる。凡庸な場所。たとえば、郊外の造成地を歩いていると、街の区画が途絶え、荒く削られた未整理の造成地帯に出ることがある。住居地区の区画はそこで曖昧に途切れ、造成地区から続いてきた道路は未整理地区へ数メートルばかり走り込んでいるが、その周囲に白いビニールや半ば土に溶け込んだハトロン紙のゴミ袋、千切られたグラビア写真、空き缶を縁飾りにしながら、削られた石やアスファルトの層、黄土色の土ぼこりなどにまぶされて途切れてしまう。たとえば午後の二次頃から三時、或いは四時から五時頃にかけて、その時間に無為の散歩を許される者なら誰でもが知るように、造成居住区はただでさえ人影がなくなるのだが(とりわけ男たちの姿は……)、その曖昧な、路地が途絶えようとする境界区域はさらに人間の気配がない。ドゥルーズの言う「生」の場所はおそらくそこに現れるのである。そこは造成という人間的秩序(意思)が途絶える場所である。おそらく今しばらく進めば「人間」を必要としない、或いは「人間」をその構成要素の一部として組み込んで構成される「自然」的秩序の領域が始まるのだろう。しかしそこではそれは未だ始まっていない。「自然」の組織-秩序は、そこまで曖昧に迫り出してその崩れの末端を曖昧に食い込ませている「人間」的秩序によって破綻している。しかし、「人間」的秩序もその活発な精気を失って色彩を失いつつある。そこは「人間的」秩序が曖昧に破綻し、しかし未だ「自然」的秩序は始まっていない、中間領域であるだろう。》

《…造成居住区の午後にはなにがしかの「狂気」があり「錯乱」がある。「人間」的秩序はそこでとりとめのない雪崩の中に文字通り崩れだし、同じ崩れの場所に「自然」的秩序も雪崩続けることをやめない。なるほど、「女たち」「子供たち」「老人たち」の空虚な、下らぬお喋りがそのすぐかたわらで毎日、広がり出す。(…)それはすぐかたわらに広がるあの時間-場所の奇妙な無言の領域を押しやるのではなく厚みのない埃のようにその周囲に降り積もってゆくかのようであり、その言葉の細々とした計画の連鎖は決してあの領域を「境界の外部」へと隔離してしまうことはない。(…)》(『死体は窓から投げ捨てよ』所収「造成居住区の午後」より)