2023/05/17

⚫︎本当にどうでもいいことだが、「バブリーダンス」にはちょっと違和感がある。「ダンシング・ヒーロー」も「ジュリアナ東京」も90年代で、すでにバブルは崩壊した後のことだ。80年代にも、ボディコンやお立ち台はあり、田中美奈子がマハラジャで毎晩のように踊りまくっていたという話もあるが、そういうものが風俗として(時代の象徴のように)前面に出てきたのは90年代になってからではないか。

(文化的には90年代の方が派手で、CDもたくさん売れて、確かに「バブリー」感はあるのだが。経済が落ち込んできたから、気分だけでも派手さを出すみたいな感じだったと思う。あるいは、音楽業界としては90年代こそがバブルなのかもしれないが。)

それから、ボディコンと肩パットがセットのようになっているが、ボディコンシャスと肩パットとは本来、概念としては相容れないはず。この、相容れないものの悪魔合体が起こったのは、肩パット入りのCDブランドもののスーツの流行があったからではないかと思う。一方に、ボディコンシャスという身体の線をそのまま出すという概念があり、もう一方に肩パットで鎧のように肩幅を強調するブランドもののスーツがあって、コンセプトとしては真逆なのに、両者がなんなとなく融合することで、肩パットで肩幅を広げ、それを強調するためであるかのようにウエストを細く絞って、スカートがタイトというシルエットのスーツになって、それがなぜかボディコンと呼ばれるようになったのではないか(詳しくない者の想像でしかないが)。

本来のボディコンシャスは、こんな感じであるはず。《1981年のミラノ・コレクションでアズディン・アライアが、身体に添ったデザインのドレスを発表した。これをボディ・コンシャススタイルという。》(Wikipediaより)

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しかし、なぜか同時に、こういうのもボディコンと呼ばれた。

urbanlife.tokyo

検証していない印象と記憶に過ぎないが、「男女七人夏物語」(86年)にはまだ「肩パット」感はあまりなくて、「男女七人秋物語」(87年)になって、大竹しのぶ岩崎宏美が肩パットの入ったスーツを着るようになって(しかしボディコンではない)、手塚理美がエロい感じを出すようなボディコンを着るようになるが、こちらは肩パット的ボディコンではなかったはず。「抱きしめたい!」(88年)のW浅野も、肩パットはバリバリ入っていたと思うけど、ボディコン感はなかったはず(検証していない印象です)。

しかし、吉川晃司のデビューが84年なのか。肩パットといえばまず吉川晃司が連想され、彼がデビューした頃はすでに、みんなバリバリに肩パットだったという記憶がある…。

あ、そうか、バブルでボディコンスーツといえば工藤静香なのか(そう考えてから「バブリーダンス」の動画を観れば、明らかに工藤静香のフリをサンプリングしたダンスだ)。だとすれば「バブリーダンス」への違和感は、80年代と90年代との混同からくるではなく、マハラジャ的、ジュリアナ的な、本来の意味に近いボディコンシャスと、本来の意味からかなりズレた肩パット入りのボディコン的なブランドスーツとの、ボディコンという語の共有による混同からくるということなのか。バブル期(80年代後半)のボディコン・肩パットは、基本的にリクルートスーツとか、会社員が会社に着ていくための服が主だったと思われ、それは、夜、クラブに踊りにいくようなボディコンシャスの服とは、ビジュアル的にも、文脈的、文化的土壌的にも違っているはず、ということか。あるいは、クラブといっても、踊る系ではなく、ホステス系の人が派手目のボディコンスーツを着ていた感じ。

踊る系とホステス系との混同が、違和感の理由ということになるのか(工藤静香は踊らない、と)。

ポジティブに考えるとすれば、踊る系とホステス系をモンタージュすることによる創造物として「バブリーダンス」がある、と言えるのか…。

(しかし、余裕がない時期に、こんなどうでもいいことを考えるのにけっこう長い時間を使ってしまった…。)

(現実逃避だ…。)

⚫︎当時の踊る系の人のボディコンはこんな感じ(鎧のようなスーツとは真逆)。

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