2023/12/14

⚫︎セザンヌが、基本として自然を前にして描く画家だとすれば、マティスは、スタジオ(アトリエ)の画家だと思う。下の三枚の絵は、同じアトリエを、ほぼ同じアングルで描いたものだ。一枚目には金魚鉢があり、二枚目には画家とモデルと画家が描いている絵があって(「画家とモデル」はありふれた主題だが、マティスには稀で、ほぼこの一枚くらいしかないのではないか)、三枚目にはモデルと絵はあるが、画家がいない。

そして、二枚目と三枚目の絵のなかで描かれている絵は、下の二枚で、どちらもモデルは同じ人だろう。

一枚目の絵が描かれたのが1914年で、それ以外の四枚は全て1916から17年とクレジットされている。つまり、少なくとも一枚目以外の四枚の絵は、同時に、これらの絵に描かれている「このアトリエ」に存在していたはずだし、画家もモデルも、そこにはいたはずだ。

描かれた場所(アトリエ)に、その場所を描いた絵があって、その絵のなかに描かれている絵も、その場所(アトリエ)にある。アトリエには、モデルがいて、モデルを描いた絵があって、「モデルを描いた絵」を描いた絵がある。《「モデルを描いた絵」を描いた絵》には、それを描いた場所が描き込まれていて、それは「ここ」である。

四枚目と五枚目の絵には「このモデルが描かれた」ことが書き込まれ、二枚目と三枚目の絵には、この絵は(このモデルは)「ここ」で描かれたということが書き込まれている。そして、その「ここ」とは、まさに「ここ」であるという場所にこの四枚の絵は置かれている。

モデルを描き、描かれたモデルを描き、それらが描かれた「ここ」さえも描いた画家の姿もまた、二枚目の絵のなかに描かれているが、なぜか全裸のような感じで描かれ、三枚目および五枚目の絵の、裸で横たわるモデルと役割を交換しているようにも見える。

ここから何が言えるのだろうか。