2023/12/13

⚫︎昨日の日記では、遠近法でもなく、陰影法も使わずに、そして、いわゆるリアルな描き込みをするのとは別のやり方で、絵画の中に三次元的な空間を立ち上げることができるという例として、ぼくが予備校時代に作ったものを示した、しかし、あまりに受験生の絵っぽすぎて、ショボかった。なので、もっとまともな例を挙げてみたい。

下の絵はド・スタールの作品で、抽象画ではなく、普通に地中海沿岸の街の風景が描かれている。ここでは、遠近法も、陰影法も使われず、細かい描き込みもなく、ただ、色彩同士の関係や形と色とバランスによって、街並みの空間が表象されている。重要なのは、リアリズム的な描き込みがされてはいないとしても、ここで表象されているのが、あくまで「常識的な(自然な)三次元空間」であるということだ。

(街をモチーフにしているだけでなく、街並みの空間を三次元的に立ち上げている。)

もう一つ、ド・スタールの作品。これもまた、普通に、クラブのような場所でミュージシャンが演奏している様が、常識的な三次元空間として立ち上がっている。

このような言い方は良くないかもしれないが、これは現在ではもはや、ド・スタールによる特異な表現というよりも、(遠近法がそうであるように)三次元的な空間を表象するための習得可能な一つの「技術」であり、そしてこの技術は、近代絵画の達成としてある。まず、この前提が、どれくらい共有されているのだろうか、という不安がある。

(現在において、恐ろしいほどのリアリズムへのバックラッシュがあるように思う。)

そして、その前提がある上で、さらに、マティスピカソが、そのような前提には収まらない、それを大きく越え出るすごいことをしている。それは、抽象絵画ではないが、常識的な(自然な)三次元空間の立ち上げでもない。この「すごい」ところこそが、現代の我々にもかかわってくるもののように思うのだ。