2024/05/13

⚫︎国立新美術館がうちの隣に引っ越して来てでもくれない限り、どうやってもマティスを観に行く時間を作れそうにない…。

⚫︎『セザンヌの犬』について。最初に書いた「「二つの入口」が与えられたとせよ」が書けたことがとても大きかった。これは、依頼があったから書けた。

二十代の後半に、100枚くらいの小説を書いたことがある。モチーフとしては、十代のころの身体の感覚を書いておきたかった。二十代後半、既にその感覚は薄れつつあって、このままだと、遠くないうちに「この感じ」は消えてしまうと思ったから、それを今のうちに書いておきたいと思った。その小説は、「群像」の新人賞に応募して、一次選考を通過しただけで終わった。

それはともかく、自分にとって大きかったのは、自分の書いたものが、自分でも面白くなかったということ。そのことが、トラウマのように残った。つまり、「自分には小説が書けない」という強い抑圧のようなものが生じてしまった。その後も、小説を書きたいと思ったことは何度かあるが、「自分には小説が書けない」というトラウマ-抑圧に負けてしまって、書き出してみることさえ出来なかった。

(「小説」というものは、自分にとってそれくらい「高み」にあるものだったということもある。)

今は無くなってしまったが、以前、「群像」には、小説ではない分野で活動している人に、三十枚程度の短い小説を依頼して、それをまとめて載せる「新鋭短編競作」という企画があった。その企画の一人として依頼があった。

「自分には小説が書けない」という抑圧はとても強くあったので、すごく迷ったのだが、ここでこの依頼を受けなかったら(依頼という外的強制力がなかったら)、おそらく一生小説を書くことができないのではないかと思って、思い切って(本当に「思い切って」という感じだった)依頼を受けた。三十枚なら、質はともかく、まったくなんにも書けないということはないだろうということを自分に言い聞かせた。

しかしそれでも、書くのは大変だった。朝、目が覚めて、パソコンの前に行くまで、狭い部屋のなのでほんの数歩だが、それがとてつもなく遠く感じられた。最も大きな敵は、「自分には小説が書けない」という強い抑圧だった。その強い抑圧を払い除けるようにして、抑圧を必死で押し返すようにして、一文、一文、書いていった。

なんのプランもなかったし、イメージすらなかった。ただ、ある日みた夢を起点にすれば、そこからなにか続きが書けるだろうという感じがあるだけで、一つ文を書いたら、次の文を考えるという風に書いていった。自分の中から引き出すことのできるすべてを使い尽くした、という感じで、なんとか書き終えることができた。

結果として、自分でも思ってもみなかったような小説になった。つまり、書く前は、自分がこんな小説を書くとは思ってもみなかった、という小説を書いた。手応えがあったということだ。もっと書きたいという気持ちになったが、しかし、もう自分の中にはなにも残っていないとも思った。