2024/05/14

⚫︎『セザンヌの犬』に収録されている作品で、一番新しい書き下ろしの「右利きと左利きの耳」には、実在する舞台が二つある。一つは、四十年くらい前にぼくが通っていた神奈川県立大磯高校で、小説では「中学」になっているが、それ以外は、その周辺まで含めてほぼ実在するものに忠実に書かれている。実際に学校の敷地の下に暗渠が通っているし、教室の窓から海と砂浜が見える。というか、この小説の主な舞台は神奈川県の大磯町で、地理などそのまま書かれている。

もう一つは、銀座にある「奥野ビル」。けっこう有名な古いビルだが、このビルの二つ横並びにある特徴的な階段が、この小説の発想の元の一つだ。

それと、舞台ではないが、実在する建物として、篠原一男が設計した「同相の谷」と呼ばれる住宅が作中で言及されている。この住宅の、二つ縦並びにある階段が、二つ横並びにある奥野ビルの階段と対になっている。

⚫︎「「二つの入口」が与えられたとせよ」でも、当時住んでいたアパートの空間(というか環境)からの反映がある。安い作りの木造アパートで、壁も薄ければ、床板も天井も薄い。しかも、面積の大半は畳敷きではなく、フローリングと言えば聞こえはいいが、板敷きで、しかもとても薄い板だった。そして、ぼくの部屋の隣と真上が、シングルマザーに子供二人という家族が住んでいた。だから、子供がバタバタと走る足音や叫び声が、四六時中、音というよりも直接的な衝撃として上から降ってくる。昼寝している時の浅い眠りの夢の中に、子供の声や足音が直に入り込んでくる。

また、高台の一番高いところに建っていて、しかも、アパートの裏がかなり広い空き地で(駐車場として使われているが、舗装されていない土のままだし雑草も生えている、端に木も生えているし、小川も流れている)、窓を開けると風通しがやたらとよく、住宅街で基本静かなのだが、かなり遠くからの音も届く。そして壁が薄いので、外の音がダイレクトに部屋に入ってくる。

そういう部屋で昼寝していると(昼寝ばかりしているが)、道の真ん中で寝ているかのような感覚になる。