2024/05/30

⚫︎『冬季限定ボンボンショコラ事件』(米澤穂信)。とても良い作品だとは思うが、ぼくが期待していた方向ではなかった。だがこの時、言い方に気をつける必要がある。意味は順番に依存する。良い作品だが期待していたものではなかった、という時、それは「期待していたものではなかった」の方に強くウエイトがかかる。しかし、期待してしてたものではなかったが良い作品だった、という時、むしろ「期待を外されたことそのもの」にポジティプな意味がかかってくる。

ぼくが言いたいのはどちらでもなく、「良い作品」と「期待していたものではなかった」が、どちらが主ということなく、同等にある。

(小鳩くんは「死の恐怖」を体験しつつ病室に縛り付けられ、回想シーン以外は最後まで小山内さんが登場しない、という変則的構成そのものはとても面白いと思った。)

ぼくが期待していたのは、小鳩くんと小山内さんの〈互恵関係〉のその後であり、二人が立ち上げた(恋愛でも友愛でもない)〈互恵関係〉にどのような帰結が与えられるのかというところが具体的に書かれることだった。しかしこの作品では、〈互恵関係〉の帰結ではなく、その起源の方へ遡行する。〈互恵関係〉の発展や変化はなかった。

その意味で、〈小市民〉シリーズのとても質の高いスピンオフという感じの作品になったのだと思う。質の高いスピンオフではあっても完結編ではない、という感じ。

ここから翻って考えると、つまり〈小市民〉シリーズの事実上の完結編は15年前に出た『秋季限定栗きんとん事件』だったというこのなのだろうと思う。「秋季限定」から「冬季限定」まで15年も間が空いたという理由は、「書けなかった」というより「秋季限定」で既に「書き切ってしまっていた」ということなのではないか。改めて『秋季限定栗きんとん事件』を読み返してみないといけないな、と思った。

(あるいはそうではなく、作中に仄めかされているように、一浪して大学に入った小鳩くんが京都で小山内さんを探し出す、やや『涼宮ハルヒの消滅』めいた、一周まわった「春季限定ふたたび」こそが〈互恵関係〉の帰結が描かれる完結編となるのだろうか。だとすると『冬季限定ボンボンショコラ事件』はスピンオフというよりインテルメッツォかもしれない。そう考える方が「構成上」の座りは良いが、作品そのものの運動性が構成上の座りの良さに従ってくれるとはかぎらない。)