2024/06/20

⚫︎ユーロスペースで『左手に気をつけろ』(井口奈己)。渋谷に降りたのは何年振りだろうか。あまりに様子が変わっていた。まさか、ユーロスペースに行くのに迷うことがあるとなどとは思ってもみなかった。実際には迷ってはいなくて、ほぼまっすぐに辿り着いたのだが、道の途中の風景の感じがぜんぜん違うので、ユーロスペースの前に立つまで、自分の目がユーロスペースの建物を捉えるまで、今歩いているこの道がこれで本当に正しいのかずっと確信が持てないままで不安だった。

(帰りはもう暗かったので、いつもの渋谷の感じ、と思った。)

⚫︎映画は、思っていたのとずいぶん違っていたけど、まあ面白かった。12歳以下は感染しないパンデミック。病気は左利きが媒介するらしい。故に、12歳以下の子供が左利きを炙り出す秘密警察のように機能する。まさに、子供たちが犬笛を吹く。このような要素に、強めの政治的(というか、現状批判的)な感触を持たせることは可能だろうし、そういう感じのものだろうと予測していた。ネットで観られる予告編の映像の感触などから、黒沢清の『大いなる幻影』のような質感の映画を予想していて、そこに「子供たち」の表情を(「子供たち」と「秘密警察」というアレンジメントを)どのように絡めてくるのだろうという興味から観に行った。

しかし、「子供たち」はただ「御用だ、御用だ」と言って走り回るだけで、物語にはあまり絡んでこなくて(作品の構造的にも子供たちはあくまで背景という感じ)、ほぼ「パンデミック下で失踪した姉を探す女性の話」で、社会への批判的要素、あるいは危機的現実の反映のような要素はほとんどなかった(最後の方に「左」という文字がこれみよがしに映し出されたりはするが…)。

なんというのか、あまりにも「80年代自主映画」のノリが濃厚で、いや、確かにこういうの好きだけど、今これをやるのはどうなのか、と、思いながら観ていたのだが、ラストのユートピア的場面があまりに素晴らしく、「あー、もうこれだけで全部OK」という気持ちになった。エンドクレジットの「子供警察」のラップもとても良くて、「終わりよければすべてよし」的な気持ちで映画館を後にした。

(12歳以下は感染しないパンデミック。病気は左利きが媒介する。故に、子供が左利きを見つける秘密警察のように機能する。これらのの要素を、ストーリテリングが巧みな作家が取り扱ったら、それなりに社会的・政治的な含意のある、それらしい佳品に仕上がったかもしれないが、そうはしなかった、あるいはできなかった、ということは、かえってよかったのかもと思う。ただし「これでは足りないのでは ? 」という感じがあることは否定できない)

併映の『だれかが歌ってる』は、冒頭部分を観ていて震えがくるような感覚になり、もしかしたらとてもすごいものが始まるのではないかと身構えたが(特定のメロディが、離れた時空を結びつける感じ)、すぐに「80年代自主映画」ノリのガール・ミーツ・ボーイの感じになって、うーん、と思った。20年以上前の作品なのかと思って観ていたら2019年の作品で、さらに、うーん、となった。今、あえてこれをやるという挑戦の意味もわからなくはないが、今やるのであれば、もう一つ二つ、何か(新しいもの ? さらに深掘りされたもの ? )が必要なのではないかと思った。上から目線だが、なんかすごく惜しい、もっとできるのではないか、という感じを持った。