●昔の写真には昔の風景が映っているという当然のことに、たじろぐことがある。学生の頃につくっていたフォトモンタージュの作品を整理していると、「その頃」がリアルに映っていてびっくりする。この感じはノスタルジアとはちょっと違っていて、今では遠くあやふやになってしまった「その頃」が、「本当にあったこと」だったという忘れかけた事実を、明快なイメージによって突きつけられる感じ。
さらば愛しき大地』(柳町光男)をDVDで観て、それと同じような感覚をもった。おそらくぼくはこの映画を高校生の時に早稲田松竹かどこかで観て、その後、大学の時にビデオで一回くらいは観直している。この映画の公開は82年で、ぼくが観たのはその一年か二年後くらいの83年か84年くらいだと思う。その頃の、バブリーな文化に触れはじめ、すでに蓮實とかも読み始めていた当時のぼくにとって、この映画は確かにすごく力があるとは思いつつも、ちょっと古くさいもののように感じられたと思う。そして、今回観て思ったのは、この「古くさい」と感じた「感じ」こそがこの映画のおもしろいところだということだ。
82年公開ということは、80年か81年くらいに、構想され、製作され、撮影されたということだと思う(物語の舞台は七十年代だろうか)。そして、この80年代の初頭と、83年以降くらいの間に、たぶん(社会的な)感覚的な断層のようなものが一つある。83、4年には既に「古い」と感じてしまうような、その前にあった風景のような(空気のような)「何か」をこの映画は捉えて、保存している。そしてそれによって、今観ると、この映画はぜんぜん古い感じはしない。もし今、このような主題、このような物語、このような感覚で映画をつくったとしたら、それはもう古くさいか嘘くさいものにしかならないだろう。しかしこの映画は、このような主題、物語、感覚がリアルだった時に撮られ、その時の空気(それがリアルである時代の「地」のようなもの)を保存しているからこそ、今でも古くないのだと思う。つまり、ある必然性としてのリアルさが映っているから、主題は古くなってもリアルは古くならないのだと思う。
(それはつまり、この映画があと二、三年後につくられていたら、このリアル感はなかったかもしれないということだ。)
今の若い人がこの映画を観たら、登場人物たちの「心理」を、実感をもって理解すること(共感すること)はまず出来ないのではないかと思う。そのくらい「心理」を構成するモードが今とは違っている。ただ、そうだとしても、作品としての力は感受されるのではないだろうか。言ってみれば、前近代的人物たちが、札束で横っ面を叩かれるようなやり方で、強引に「土地(土着)からの切断」という近代化を強いられるという出来事が(それによる摩擦が)、八十年代初頭くらいまでは、日本のあちこちの地方都市でリアルに起っていたということだろう。この、「昭和ノスタルジー」では決して語られないような生々しい感じを、ぼくも多少は憶えている。
舞台は茨城県の鹿島地方。東京近郊で、かつ隔絶されている感がある、というところがポイント。しかし最近(物語的に最近)コンビナートが建設された。主人公の家は古くからの稲作農家らしいのだが、農業をやっているのは年老いた両親と「お嫁さん」で、長男である主人公はダンプの運転手をしている(次男は東京の建設会社で働いている)。実質的にこの家の経済を支えているのはこの長男で、農業では生活出来なくなっている。事故で二人の子供を失った主人公は、それ以来実家に寄りつかなくなり、外で愛人と暮らし、愛人との間にも子供が一人出来る(実家の奥さんとの間にも、三人目の子供がいる)。主人公には、ダンプの運転手として、愛人との世帯と実家という二つの家を支えるに十分なだけの「稼ぎ」がある。運転手たちは「こんな不景気ではダンプの運転手などやってられない」と口にするが、今の感覚からすればそのようにはまったく見えない。働けば働くだけ確実に、しかもかなり派手な収入があるという感じで、主人公はハードに働くために覚醒剤に手を出すことになる。主人公は、酒を呑んでは家族に暴力をふるうようなDV男なのだが、覚醒剤をやることで酒を呑まなくなり、かえっていろいろ順調であるようにも見える。しかし…。
こんな感じの話で、昔ながらの農村的なコミュニティとその機能不全、そこに切断をもたらす近代的な(重工業的な)ものとしてのダンプ運転手という職業(農地を売って豪邸を建てる「お大臣」と呼ばれる男もいる)、みたいな背景があって、そこに、出来の良い弟とダメな兄の関係、「家」のなかでの「嫁」の位置、「父」の権威の喪失、嫁と愛人、覚醒剤による生活の崩壊などが絡んで、二昔前くらいの「文学的」主題がてんこもりともいえる。主人公の愛人になる女性は、昔は弟とつきあっていたとかいう、田舎の狭い人間関係みたいな要素もある。
(ある意味、中上健次的な主題群とも言えるが、その中上自身の作品もまた、八十年代初頭くらいから、このようなものとは別の、ポストモダン的なフェーズに移行している。)
このような、今からみると古くさいとしか思えない主題群の映画が今観てもおもしろいのは、この映画には、これらの主題や物語そのものというより、これらの主題がリアルだった時代の、それらのリアルを支えていた「地」の方を、風景のようなものとして捉えているところがあるからだと思う。ドラマが主なのではなく、過去にそうであったという「ある状態」の一部分が(それを構成していた諸関係が)、そのまま保存されているような感じで。
例えば、主人公がある日唐突に「今日は仕事は休みにする」とか言って、愛人と二人の子供(一人は奥さんとの子供だろう)をつれて遊園地に遊びにゆく場面がある(この遊園地の風景がまた、昭和な感じで見事に寒々しいのだが…、そしてこの遊園地の風景の荒み方は、映画版「ビー・バップ・ハイスクール」のデパートの屋上などに通じる)。ここで一行は、遊園地で遊んだ後、子供たちに「八万円」分も服を買い与え、「高いもん食いにいくぞ」と言って、海辺で大量のカニを食べる。これは相当な散財だけど、ちっとも豊かな感じがしない(これに比べれば、現在の地方のショッピング・モールが、いかに豊かでセンスがよいことか)。たんに主人公が、これだけ散財する経済力があるということを家族に対して示しているだけの、うすら寒い光景にみえる。しかしこの何ともいえない貧しさ(お金はあるのだが)こそが、高度成長期からバブルに移行するようなこの時期の多くの人たちにとっての「休日」の姿をリアルな風景として捉えている感じがする。
(で、このような風景は、バブルとポストモダン的消費社会によって覆い隠される。)
●下のようなブログをみつけた。この映画は、地元の人が見ると、いろいろなあるあるネタが満載でもあるみたい。監督の柳町光男は地元の茨城出身だ。
http://www.ibaraking.com/archives/4802