●ずっと部屋にいて原稿を書いていて(でも全然書き出せてないんだけど)、外出は食料を買いに行くだけという生活を何日かつづけていると、ヒゲも剃らないし洗髪もしない(最近、髪が長いので洗髪が超面倒臭い、洗うのも乾かすのも面倒だし、かといって切りに行くのも面倒だ)ので、何かだんだん爛れた感じになってくるから、今日は、出掛ける予定も人と会う予定もないけど、とりあえず朝起きたらヒゲを剃ることにした。せっかくヒゲを剃ったので意味もなく外に出て、一時間くらいぶらぶら歩く。ちょっと歩いただけなのに、汗をかいて全部着替えなくてはならないくらいに暖かい日だった。どこの空き地も、雑草の緑が濃くなっている。
●『三月の5日間』をDVDで観ていて、ミッフィーちゃんが自分の「勉強部屋」について語る短いセリフにグッときた。(ちょっと、キューカーの『素晴らしき休日』を思い出す感じ。)この、ミッフィーちゃんが自分の勉強部屋でウェブ日記を書く時間が、この後の『ゴースト・ユース』での、主婦の午前の仕事と午後の仕事の合間のなにもしなくていい三十分や、『フリータイム』の朝のファミレスでの三十分に繋がっているのではないかと思った。『三月の5日間』では、渋谷での「奇蹟の5日間」に至るミノベくんとユッキーさんの出会いがある一方、対照的に、奇蹟なんかに全然至らない、アズマくんとミッフィーちゃんとの映画館での出会いがあって、この後の作品の展開との関係では、むしろ後者の方が重要であるようにも思える。
ぼくは「労苦の終わり」は戯曲を読んでいるだけで、それはテキストとして読むとちょっと冗長のように感じるけど、最後の方で、これから結婚しようとするジュンちゃんが、電車のなかで眠って夢をみるシーンがあって、このシーンが素晴らしいと思うのだが、このシーンは、『フリータイム』の三十分とも、「私の場所の複数」の、部屋でうだうだしつつ夫を思っている感じともつながっているように思え、作家としての岡田利規の資質の基底にあるのは、この感覚なんじゃないかと感じた。
(ミッフィーちゃんやジュンちゃんにしても、『ゴースト・ユース』や『フリータイム』にしても、「私の場所の複数」にしても、岡田利規の資質がもっとも現れるのが、いつも女性の登場人物を通してだ、というところも面白い。ぼくは、小説「三月の5日間」はあまり良いとは思えないのだが、最後の方で女性の語りになるところでは、ぐっと面白くなるし。)
●夜、食料の買い出しから戻ると、ファックスが、受信中のインク切れで途中までしか印字されていなかった。でも、これから再び出掛けて、一駅となりの家電量販店まで行く気力はなくて、本当は急いだ方がいいんだけどと思いつつ、明日に先送りすることにした。