●『呪怨-パンデミック』(清水崇)をDVDで。最近、全く映画が観られない。映画館に足が向かなくなってしまったし、DVDをレンタルしてきても、だいたい最初の10分くらいで、もういいや、と思ってしまう。(で、ダンスのDVDばかり観ている。)しかしこれは最後まで観ることができた。最後までちゃんと観られたのはフィンチャーの『ゾディアック』以来だと思う。
清水崇のつくった映画の全てが良いとは思えないけど、一歩一歩着実に良くなっていて、そこが凄いと思う。『呪怨-パンデミック』はほとんど一瞬もだれることなく最後までゆく。清水崇という監督はいわば徹底して小ネタの人で、ホームランが打てないというか、一本一本丁寧に単打とかバントとかを重ねてゆくしかない人だと思うし、その小ネタそのものも、「呪怨」シリーズをずっと観続けてきた者には、どこかで観たようなものが多くて、新鮮味はなく、有無も言わせず引き込まれる(例えば『悪魔のいけにえ』みたいな)ということは基本的にないのだが(だいたいもうホラーなんてネタが尽きているといえば尽きているのだし)、しかし、その一つ一つの小ネタが確実にブラッシュアップされていて、しかもネタ同士の関連も緊密になって、かなり凄い作品だといってよいと思う。監督としてはおそらく、もう「呪怨」はうんざりで、もっと違うことをやらせてくれよ、という感じなのだろうけど、ここまで執拗に繰り返したからこそ(繰り返すことが、そもそも「呪怨」の重要なテーマなのだし)、ここまでの完成度に至ったのだ、という凄みがある。
基本的に小ネタの人だからこそ、全体をつまらない物語に収斂させることなく、一つ一つの細部の感触だけで映画を成立させることが出来ていて、そのことがこの映画の確固とした強さになっているのだと思う。途中で、カヤコの母親の話が出て来たところで、徹底して根拠がないところがこのシリーズの過激なところなのに、話の根拠をそっちにもっていってしまうと『リング』みたいになってつまらなくなってしまうのではないかという危惧が一瞬あったのだが、話がそっち(つまり「根拠」に頼る方向)に行きそうになっても、ギリギリのところで、あくまで小ネタの精度の方へ、細部の感触の方へと戻って来て、ああ、さすがだ、やはりこの監督は信用出来るのだ、と思う。(もしかすると「根拠」にもってゆくことで「呪怨」のシリーズを終わりにさせたいのだろうか、とも思ったのだが、結果としてそうはなってなくて、このシリーズはきれいには終わりようがないのだ、そこが最も「恐い(リアルな)」ところなのだ、という所に戻ってくるところが信用出来る。)一度「根拠」の方に行きかけて、再度、最初の事件の無根拠な反復へと戻ってきてからの展開は凄くて、アメリカから姉を追ってやってきた女の子と、最初のカヤコの事件とがぴったりと重なる展開のところなどは、この映画作家の資質の最もすぐれ部分があらわれていると思う。(なんというか、ブレッソン的に断片化されたタルコフスキーというか。)
清水崇は空間の描写が丁寧で、ホラーというのはつまり、客観的なカット割りのなかに、いかに(得体の知れないものの)主観的な気配を混ぜてゆくか、ということで、それはつまり、客観的な空間を組み立てながらも、そこにどのような歪みや隙間をつくってゆくのか、ということで、この映画はほとんどそれだけで出来ているといっても良いと思うのだが、同じネタを何度も何度も反復することで、その精度が凄いことになっていると思った。あと、清水監督はキャスティングのセンスが絶妙に良い(特に女の子の)といつも思うのだが、それはアメリカの俳優に関しても充分に発揮されていると思った。女の子が三人並んで歩いているだけで、その関係が一瞬にして察せられてしまう、みたいな配置の仕方をする。こういうのが上手くないと多分ホラーは出来ないのだろうう。