●以下は、『突囲表演』(残雪)からの引用。こんな細部がびっしり詰まっているなかを、かき分けるようにしてすすんでゆく。
《もしかしたらX女史の妹がまきちらした言論のほうが、いっそう問題の説明になるかもしれない。妹がいうには、Q男史はかつて彼女にこういったことがある。現在彼の目の色はまた五色増えて全部で十色になった。これもみなまりつきという「人を夢中にさせるスポーツ」》のおかげであり、そのスポーツが彼を「童心に返らせ」、子供のころのさまざまな遊戯に浸らせ、もう「やめられない」ところまで来ている、と。しかも彼ははぐらかすように、X女史が「なんともいえず素敵」で、彼自身も今では一日に四、五十回も鏡を観ており、すでに「人知れず上着のポケットに鏡をしのばせる」までになったなどといって、何度も妹にたずねた。「ぼくは今、堂々たる美男に見えるかな?」妹が何度もそう見えるといってやると、彼はようやく嬉しそうにまりをつきに駆けだしていった。それだけではない。彼は自分の身の上についての神話まででっちあげた。口からでまかせに、自分は父も母もなく、木にぶらさがっていた革袋から跳び出してきたのだなどという。彼は生まれたその日にたくさんの蚕が木の上で黄金色の繭を作るのを見た。「ぐるぐる、ぐるぐるとね」彼はうつけたような笑みを浮かべた。「人間はみな、木の上から跳び下りてきたんだ。足をみればすぐわかる。前は真っ暗なな林で、いろいろと道に迷う、嗅覚を失った蟻のように。あっちの音はなんだ?」妹は、それは街の人の足音で、みな姉の一家を尾行しているのだと教えてやった。「びっしりと生い茂った密林が連中を分散させるさ、あのカブト虫どもを」彼はきっぱりとうなずき、猫のように耳をそばだてた。》
《そのとき、ある声がわたしに告げた。散歩に行け、散歩に行け、奥義はそこにあると。わたしは飛び起きて女房---性の相手(パートナー)---のところへ行くと、彼女はちょうどハサミでわたしのズボンの後ろに穴を開けているところだった。わたしが街に出たとき尻が見えるようにだ。わたしは彼女にむかって吼えた。「散歩に行こう! 散歩に!」そしてふたりでうきうきと散歩に出た。どちらもひどく興奮しており、河辺の砂州に横になったときには、かつて到達したことのない高級な段階にすぐにも到達できるような気がした。われわれはウハウハ笑い、ありとあらゆる華麗な動作を無意識のうちに生み出した。もしも、あのいまいましい蟻さえいなければ、今頃はすべての精鋭に先んじて確固たる知識と厚い理論基盤を持つ名だたる大学者になっていたことだろう。蟻が真っ先に侵攻した部位はわれわれの生殖器だった。まったく思いもよらない天災で、とにかくことはそこまでだった。まるまる五時間に及ぶ準備作業と八キロにも及ぶ散歩行為、明らかにあと半歩で成功するところだというのに、突然---蟻だ!! あの糞いまいましい蟻のおかげで、女房はそれ以上わたしとやろうとせず、乱暴にもわたしの散歩がX女史の盗作だと罵り、しかもわたしが「ほんの上っ面しか真似できず」、「まったく気色が悪く」、「永遠に成功するわけがない」とぬかし、もしも彼女が昔、公園で目がかすんでわたしのようなうだつの上がらぬ男といっしょになったりしていなければ、とうに「ひとりでその最高のレベルに達していた」はずだなどというのだった。さらに腰に手をあてて、こうもいった。「性の快感なんてわたしひとりのものよ。あんたのような役たたずがいっしょになにをしようというの? ふん、散歩だって! このうそつきが、ロバが! おかげで足が棒になってしまった。道々なにかいい景色でも見つかった? これからこんなろくでもないことにまたわたしを引きずりこもうとしたら、承知しないからね! そのときになって、こっちがなぜ豹変したなんて責めないでちょうだい! 」》