●朝早く起きて、珍しくしっかりと朝食をとる。蒸したさつまいも半分と茄子一個、あと生のままのニンジンをちょっと齧る。普段は朝はチョコレートの欠片とコーヒー(甘いものとカフェインがないと頭が目覚めないので)くらいなのだが、最近、百均の店で蒸し器(たんに、円盤状の金属に穴があいているだけのもので、水を張った鍋にお猪口を三つ逆さに置いて、その上に円盤状のものを載せて、そこに野菜とかを置いて、蓋をして蒸す)を買ってから、蒸した野菜を食べるようになって食生活がちょっとマシになった。朝食の後、たっぷり三時間くらい散歩して、昼過ぎまで本を読み、すこし頭がぼんやりしてきたので昼寝して、起きてから喫茶店に出かけ、そこで夜まで、また本を読む。
散歩しながら、残雪はリンチとよしながふみの中間に位置する、とか、『突囲表演』は『少女革命ウテナ』に似ている、とか、思いつくのだが、これはあまりにいいかげんな思いつきだ。
以下は『突囲表演』(残雪)からの引用。この小説は、こんな感じのエロ話が延々とつづく。
《そのころ---X女史の妹はいう---彼女たちは男に対する感じ方をじっくり話し合ったことがある。X女史は自分の理想の男のイメージを繰り返し描いてみせた。もちろん、そのさまざまな描き方も相変わらず例の調子で、粗野で直裁的でそのくせ中身がなく、大げさだった。それをさも面白そうに、見てきたように話すのだ。「ふたりは絶え間なく愛撫し合いながら、絶え間なく話すの。言葉も感情を暗示するひとつの方法だから。自分の激情と想像をなんとか相手に伝えたいとき、動作だけでは足りず、言葉の助けがいるのよ。そんなときの言葉には、もう日常の意味はない。もしかしたらいくつかの簡単な音節、翼の生えた小さな声かもしれない。わたしにはそういう特殊な言葉が思い浮かぶわ」。X女史はよく「すてきな手が見つからない」と嘆くことがあった。男の手はすべからく活き活きとして、あのやさしい力に満ちているべきであって、その人となりを象徴し、感情の激流がそこに奔騰するようなものでなければならない。ところが、ほとんどの男の手は「ひからびて、青白く、生命を持たず」単に「自分の欲を満たす道具」でしかない。彼女は「そんなきゃしゃで、中性的な哀れな手は、ひと目ですぐ見分けられる」。そういう手の男は「一生愛撫の楽しみも知らず、女の世界に到達することもなく、真の大人の男になりきることもない、いわば模造品のようなものだわ」。妹はそんな話に大喜びし、もっと詳しく話してほしいと思いながらとんちんかんに、自分はときに本当に「むらむらときて、自分を抑えられなくなるの」などといった。(略)X女史はここでひとつの例をあげた。何年も前のある日、彼女は偶然ある一対の目に出会った。その目は彼女の前をかすめるとたちまち三色に変わった。彼女はひそかに喜び、すぐさま駆け寄って男を引き止め、同時に若者のような手をしていると思った。その手は「いかにも内容がありそうに見えた」のである。しかし、触ったとたん、自分が愚かな勘ちがいをしたことに気づいた。「その手はひからびて、栄養不良で、おまけに少し病的だった」「撫でてみたら、痙攣しているようだった」。彼女は軽く首を振り、かつての幼稚さに照れているようだった。自分はもう二度とあんな勘ちがいはしなくなったけれど、同時にひどく頽廃的になった。なぜなら、この世にはそんな発育不良の手ばかりはびこって、「目を閉じていてもそれがわかる」からで、「この世は老衰した、無性繁殖の場所でしかなく、そんな手をした男には決してなにひとつ創造することはできない」のだという。》